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輔弼

投稿者: latter_autumn 投稿日時: 2005/07/21 17:15 投稿番号: [11093 / 17759]
>「国務大臣が天皇を拘束したことは全くなかった。」という貴殿の意見への
>反論です。

反論になっていない。拘束と輔弼は異なる。
具体的に、何時、国務大臣の誰が、何について、どのように、天皇を拘束したのか?
あるいは「天皇が意に反する輔弼に従った(?)」具体例でもよいが。

>>2.26事件では、叛乱将校への寛大な処置を進言した川島陸相の輔弼を退けた。
>そんな輔弼が実際に行われたとしたら統帥権の干犯でしょう?

貴殿は11013で、
張作霖爆殺・田中首相辞任以後、昭和天皇が「意見が合わなくても輔弼に従うようにした」
旨を述べたではないか。

>閣議決定は拡大路線でした。また、宇垣が講和を奏請したこともありません。

第1次近衛内閣改造前は、政府は拡大路線であり、昭和天皇も政府を支持していた。
しかし改造後は、「拡大中止・蒋介石と直接早期和平」という路線変更の条件で、廣田外相に代わって宇垣外相が入閣した。宇垣は、一旦は昭和天皇の承認を得て、早期和平のための行動を開始した。

その後、板垣陸相が宇垣の早期和平方針に反対し、近衛も板垣に同調した。
昭和天皇も宇垣への支持を止めて、孤立した宇垣は辞任を余儀なくされた。

>近衛首相が天皇に開戦中止を奏請した事実はありません。

1941年10月半ばの時点で、近衛は対米開戦反対を表明した。

>近衛は8月にルーズベルトとの会談が不調に終わった時は開戦すると東條
>と約束しました。

近衛とルーズベルトの会談は、そもそも実現していない。

>9月の御前会議で10月上旬まで外交交渉が纏まらない場合は10月下旬
>に開戦すると決定

10月半ばの時点で、東條は開戦を主張したが、近衛は反対した。

>10月に外交失敗が確定し近衛が辞職を願い出たので、天皇は即座に白紙
>還元の詔勅を出し、9月の決定を無効にし、戦争回避の為の唯一の打開策
>として東條に大命降下したのです。

東條を首相に指名したのは、基本的に東條方針への支持表明であり、対米開戦のためであって、戦争回避のためではない。
以後の外交交渉の延長においても、日本は中国への駐兵権に依然として拘っており、アメリカや中国が受け入れる余地はなかった。
結局9月の御前会議決定の白紙化は、実質的に開戦のタイミングを少しずらしただけである。
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