“平和ボケ”のお部屋

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>>>2.26事件

投稿者: nita2 投稿日時: 2005/07/19 18:20 投稿番号: [11080 / 17759]
議論が拡散してきましたし、連休明けでだるいこともありますので、

1   2.26事件は叛乱将校の衝動的な決起だったか否か。

2   天皇は実質的な権力を持ち行使しえたか否か。

3   天皇に実質的な戦争責任があったか否か。

という議論の本線に絞りレスさせていただきます。

省略した事項で回答が必要なものがあれば、すみませんが再度ご指摘ください。

>陸軍大臣告示では結局「大御心に待つ」と言っていた。
>昭和天皇の意向は、「叛乱部隊の鎮圧」であった。
>昭和天皇の鎮圧方針は、奉勅命令として、27日に下命、28日に公布された。
>これによって、陸軍省・参謀本部・戒厳軍が一致して鎮圧に当たることになった。

>当時の石原に決定権は名実共になかった。
>石原自身は本庄に「丸め込まれて」いた。
>鎮圧に動いたのは、昭和天皇であり、奉勅命令の直接の受領者であった杉山らである。
>石原は、職責上、杉山の下で動いただけである。

鎮圧の勅命が出された後で「大御心に待つ」という告示が出されたことが問題なんですよ。
奉勅命令の直接の受領者ってのは意味不明ですが、もし発令者のことなら載仁参謀総長でしょう?
で、26日にも原隊復帰の奉勅命令は発令されてますが、下命されませんでした。
それどころか、26日には香椎により反乱軍に警備を命じる告諭が発せられています。
27日に載仁参謀総長名で発令された奉勅命令についても、皇軍の相撃を避けるという名目で荒木と真崎が干渉してきます。
それを28日に石原が戒厳司令部から荒木、真崎を追い出してやっと下命されたという流れです。
まあ、石原がどう動いたかは議論に関係ないので、誰かによって荒木、真崎の干渉が排除されてと読み下していただいて結構ですが、荒木、真崎は勅命も奉勅命令も無視しクーデターを推進し、参謀本部と対立したというのは覆せないでしょう?
また、杉山なんかは、陸相時代、議会での陸軍大臣告示の質問について「そんなものは知らない」とか答えて、優勢を見極めてから鎮圧に動いた日和見的な立場を露呈していますよ。
以上から、2.26事件は叛乱将校の衝動的な犯行ではなく荒木、真崎が主導した皇道派のクーデターであり、一貫して天皇の勅命は無視され、天皇は危機感を持ったと述べている訳です。
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