“平和ボケ”のお部屋

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>昭和天皇の人事管理

投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/07/16 21:44 投稿番号: [11057 / 17759]
>田中義一首相、東郷茂徳外相、小磯国昭首相らは、昭和天皇が辞任を要求したので、実質的に罷免されたも同然である。
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張作霖爆死事件の犯人を、田中首相は一旦は処罰すると約束したのに、約束を反故にしたから、天皇は怒って、もうお前の顔を見たくないと云った。それで田中は辞職した。これが今までに言い伝えられていた話しである。この話しでは、天皇は辞任の要求はしていない。しかるに天皇の発言で田中派はショックを受けて、辞任した。そして伝説では「田中が辞任したので、天皇は驚いて、その後は口を慎むようになったと」されている。つまり天皇は、辞任を要求するつもりはなかったことになる。

また当時は陸相がいたが、天皇は陸相でなく、首相を相手にしている。それと同じで、2.26のとき天皇は陸相を補佐役とは認めなかった。

また張作霖爆死事件の犯人を処罰すべきだと天皇が主張したことは、天皇はそのとき對支問題では鷹派でなく鳩派だった証拠になる。

東郷外相、小磯首相に辞任を要求したとは、わしは今まで知らなかった。天皇が明白に「辞任せよ」と云ったのですか?そんなことは有り得ないと思うが。

要するに、昭和天皇は総理大臣や国務大臣を罷免した事実はなかった。せいぜい「実質的に罷免同様」のことしかできなかった。

>関東軍の軍人が起こした張作霖爆殺事件や満州事変に対して、昭和天皇は軍紀違反を咎めなかった。

張作霖事件については前記の通りで、天皇は犯人を処罰すべきだと主張したが、首相辞任という事態が起こったので、天皇は口をつぐんでしまった。そして事態が犯人不処罰、軍規違反不追及という状態で事件が終わった。

満州事変の時は首相が健在、よって昭和天皇は首相の進言を承認するだけだった。そのときの天皇個人の考えは、今となっては「神のみぞ知る」である。

1938年の張鼓峰事件。わしの知らないことばかりだが、latter_autumn殿のお説では、「東條英機陸軍次官や多田駿参謀次長、宇垣一成外相や米内光政海相らは、対ソ全面戦争への発展を恐れて反対・静謐維持を主張していた。
昭和天皇は後者に賛成した。」つまり昭和天皇個人はここでも鳩派だった。

>張作霖爆殺事件や満州事変の結果、
「軍人が軍紀に違反しても天皇が容認すれば処罰されない」、
「軍紀違反してでも手柄を立てれば誉められて出世もできる」、
という前例ができた。

上記のような事態ができたのは、昭和天皇の責任ですか?   ちがうと思うが。
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