“平和ボケ”のお部屋

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

>>2.26事件

投稿者: latter_autumn 投稿日時: 2005/07/15 20:33 投稿番号: [11046 / 17759]
>荒木と真崎は軍事参議官会議の席上、「陸軍大臣告示」を纏め川島陸相の
>承認を受けたのです。ちなみにこの会議は天皇の諮問がないので本来は
>開けない会議だし、後の告示も天皇に無断で行ったもの。

陸軍大臣告示では結局「大御心に待つ」と言っていた。
昭和天皇の意向は、「叛乱部隊の鎮圧」であった。
昭和天皇の鎮圧方針は、奉勅命令として、27日に下命、28日に公布された。
これによって、陸軍省・参謀本部・戒厳軍が一致して鎮圧に当たることになった。

荒木も真崎も、川島も本庄も、クーデターを成功に導く力は全くなかった。

>一般には香椎に懇願する山口一太郎にかまわず石原が鎮圧を布告させた
>ってことになってますね。

当時の石原に決定権は名実共になかった。

>石原と共に鎮圧の立役者とされる杉山参謀次長も軍事参議官会議に出て
>当初は荒木、真崎に丸め込まれています。
>そんな状況で石原以外の誰が鎮圧に動き成し遂げさせたというのですか?

石原自身は本庄に「丸め込まれて」いた。
鎮圧に動いたのは、昭和天皇であり、奉勅命令の直接の受領者であった杉山らである。
石原は、職責上、杉山の下で動いただけである。

>上層部も思想を共有していたと言ったのであって誰も思想的なリーダー
>シップを発揮したとは言ってませんよ。

皇道派の上層部は、北らの唱える「革新」に本気で賛成していた訳ではない。
彼らと親しかった近衛なども、同様である。
実際、荒木陸相・真崎参謀次長時代に、「革新」は何も実現されていなかった。
実現されていたのは、単なる陸軍部内の派閥人事であった。
皇道派の下っ端は、上層部にとって権力闘争の道具・手駒でしかなかった。

>荒木はその思想から国家社会主義的な革新を具現する為政者と目されていた

十月事件の前の三月事件では、宇垣一成が「革新」体制の首班候補であった。
結局、皇道派の下っ端や北らの「片思い」だったのである。
荒木は宇垣よりも彼らに同情的であったが、所詮言葉だけであり行動を伴っていなかった。
2.26事件では、荒木ら皇道派上層部は最終的に叛乱将校を見捨てた。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)