日中戦争、降伏
投稿者: latter_autumn 投稿日時: 2005/06/23 17:17 投稿番号: [10788 / 17759]
>北支那方面軍と比較して、中支那方面軍は、あきらかに軍中央から
>低く評価されているね。
華北の戦線では、進撃が速く損害は少なかった。
華中の戦線では、進撃が遅く損害は多かった。
南京大虐殺では、入城・祝勝式で皇族の朝香宮鳩彦王軍司令官が万一敗残兵に襲撃されるといけない、という思惑もあり、それが「便衣兵狩り」をエスカレートさせた側面もある。
>なぜ、日本が降服したかの理由は、広島、長崎の原爆が直接の引き金
>だと思われているようだけれど、
降伏を決定付けた最大の要因は、ソ連参戦であった。
原爆とソ連参戦では、後者の影響の方が大であった。
昭和天皇ら当時の指導層は、ソ連に占領の主導権を大きく握られてしまうとまず間違いなく国体(天皇制)を維持できないだろう、という点を最も怖れていた。
アメリカに占領の主導権を大きく握らせ、アメリカに擦り寄ることで、国体を維持する可能性に賭けたのである。
>一説によれば、満州を失ったことが、強硬派の大日本帝國陸軍の戦意を
>喪失させたというのもあった。
日本は、ソ連に和平の仲介を頼もうと考えていた時に、代償として満州の権益の一部ないし全部をソ連に譲渡することも考えていた。
満州を失うこと自体は、既に覚悟していたのである。
陸軍に限らず、昭和天皇も強硬派であった。
1945年2月に、近衛文麿が「もはや戦局は絶望的、これ以上戦ってもかえって国体を危うくするだけなので早く終戦すべき」旨を述べたのに対して、昭和天皇は「もう一度戦果を上げてからでないと(国体護持を前提とした日本に有利な条件付講和は)難しいと思う」旨を答えた。
原爆投下後、朝香宮鳩彦王が「国体護持ができなければ戦争を続けるか」と尋ねたのに対して、昭和天皇は「勿論だ」と答えた。
他の者が交代していく中で、昭和天皇だけは唯一人常に国家統治の頂点に位置し、一連の侵略戦争の計画及び遂行を名実ともに指導した(「君臨すれども統治せず」ではなかった)。
昭和天皇が己の保身に拘り長々と戦争を続けたために、国内外の犠牲が拡大した。
これは メッセージ 10777 (light_cavalryman さん)への返信です.
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