焼却・皆殺し命令は事実か?
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/29 18:53 投稿番号: [95 / 2250]
秦郁彦著 『南京事件』 71pに、宮下手記として
《「わが柳川兵団は上陸後、(1) 民家を発見したら全部焼却すること、
(2) 老若男女を問わず人間を見たら射殺せよ」との命令を受けた》
というのがあります。また
《第6師団歩45連隊長だった竹下義晴氏が、火の始末を注意した所、部下の大隊長から
「中支を全部焼き払えと軍司令官が言っているのを新連隊長は知らないのですか」と反問された》
という話も載っています。
さて、では、こんな命令は本当にあったのでしょうか?
少なくとも、参謀本部は出していません。杭州湾上陸作戦の出陣の前に、逆の命令をだしていますから。
「60 第十軍の編成」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=60
参照
また、児島襄著『日中戦争4』162pには
《司令官柳川中将は、独断進撃を発起するにあたって、とくに、この日、次のような訓示を下達した。
「……窃 (ひそか) ニ聞ク所ニ拠レバ、最モ忌ムベキ婦女暴行、金品強奪ノ犯行二、三ニ止マラズト謂フ。
斯(かく) テハ集団ノ戦績ヲ汚辱シ、皇軍ノ威武ヲ涜(けが) スモノニシテ、寔(まこと) ニ痛嘆ニ湛ヘズ。
隷下将兵克ク自省自戒シ、軍紀厳正益々士気ヲ振起シ、各々其ノ任務ニ邁進スベシ」》
とあり、皇軍の名誉を汚すなと訓示しています。尚、児島氏は、この続きに
《実際には、その種の非行例は数件にとどまっていたが、実直な性格の柳川中将としては、
一例もみすごす気にはなれず、全軍に戒言したのである。》
と補足しています。
略奪、婦女暴行すら戒めている人が、「皆殺し・焼却命令」?
当時の第6師団に従軍していた、毎日新聞の五島広作記者の証言を見てみましょう。
阿羅健一著 『「南京事件」 日本人48人の証言』 小学館文庫60〜61p
《五島氏は当時、大阪毎日新聞の記者として熊本支局に勤めており、
第六師団の北支派遣とともに第六師団に従軍することになった。
だから第六師団の従軍記者であり、南京攻略戦だけでなく、北支の保定・正定戦、
さらに杭州湾上陸作戦にも従軍している。
― 五島さんは第六師団のどの辺で従軍取材していましたか。
「いつも師団司令部にいました。北支に行く時から一緒だったので、
谷師団長にかわいがられまして、作戦会議もみておけ、
と谷中将の命令で藤原武参謀が呼びにくることもありました」
― 崑山前後、軍の方から、中国人は女・子供にかかわらずすべて殺すべし、
という命令があったといいますが……。
「そんなことはありません。 私は師団の司令部にいて、師団長と行動を共にすることが
多かったのですが、聞いたことはありません。
東京裁判があってからの作り話ではないでしょうか」
― 第六師団は北支で感状をもらってないから、中支で残虐行為をやったと言う人もいますが……。
「はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした。
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。
戦後、中国の言い分に合わせた話がよく作られています」》
と言っています。
どうも、第六師団長もそのような命令は出していないようです。
次回は、杭州湾上陸時の兵隊たちの体験談です。
《「わが柳川兵団は上陸後、(1) 民家を発見したら全部焼却すること、
(2) 老若男女を問わず人間を見たら射殺せよ」との命令を受けた》
というのがあります。また
《第6師団歩45連隊長だった竹下義晴氏が、火の始末を注意した所、部下の大隊長から
「中支を全部焼き払えと軍司令官が言っているのを新連隊長は知らないのですか」と反問された》
という話も載っています。
さて、では、こんな命令は本当にあったのでしょうか?
少なくとも、参謀本部は出していません。杭州湾上陸作戦の出陣の前に、逆の命令をだしていますから。
「60 第十軍の編成」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=60
参照
また、児島襄著『日中戦争4』162pには
《司令官柳川中将は、独断進撃を発起するにあたって、とくに、この日、次のような訓示を下達した。
「……窃 (ひそか) ニ聞ク所ニ拠レバ、最モ忌ムベキ婦女暴行、金品強奪ノ犯行二、三ニ止マラズト謂フ。
斯(かく) テハ集団ノ戦績ヲ汚辱シ、皇軍ノ威武ヲ涜(けが) スモノニシテ、寔(まこと) ニ痛嘆ニ湛ヘズ。
隷下将兵克ク自省自戒シ、軍紀厳正益々士気ヲ振起シ、各々其ノ任務ニ邁進スベシ」》
とあり、皇軍の名誉を汚すなと訓示しています。尚、児島氏は、この続きに
《実際には、その種の非行例は数件にとどまっていたが、実直な性格の柳川中将としては、
一例もみすごす気にはなれず、全軍に戒言したのである。》
と補足しています。
略奪、婦女暴行すら戒めている人が、「皆殺し・焼却命令」?
当時の第6師団に従軍していた、毎日新聞の五島広作記者の証言を見てみましょう。
阿羅健一著 『「南京事件」 日本人48人の証言』 小学館文庫60〜61p
《五島氏は当時、大阪毎日新聞の記者として熊本支局に勤めており、
第六師団の北支派遣とともに第六師団に従軍することになった。
だから第六師団の従軍記者であり、南京攻略戦だけでなく、北支の保定・正定戦、
さらに杭州湾上陸作戦にも従軍している。
― 五島さんは第六師団のどの辺で従軍取材していましたか。
「いつも師団司令部にいました。北支に行く時から一緒だったので、
谷師団長にかわいがられまして、作戦会議もみておけ、
と谷中将の命令で藤原武参謀が呼びにくることもありました」
― 崑山前後、軍の方から、中国人は女・子供にかかわらずすべて殺すべし、
という命令があったといいますが……。
「そんなことはありません。 私は師団の司令部にいて、師団長と行動を共にすることが
多かったのですが、聞いたことはありません。
東京裁判があってからの作り話ではないでしょうか」
― 第六師団は北支で感状をもらってないから、中支で残虐行為をやったと言う人もいますが……。
「はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした。
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。
戦後、中国の言い分に合わせた話がよく作られています」》
と言っています。
どうも、第六師団長もそのような命令は出していないようです。
次回は、杭州湾上陸時の兵隊たちの体験談です。
これは メッセージ 93 (kireigotowadame さん)への返信です.