12月10日 唐生智 「開城勧告」 を無視
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/07/29 18:38 投稿番号: [921 / 2250]
《早瀬利之著
『将軍の真実
南京事件
松井石根人物伝』
127p
武藤章参謀副長と中山寧人情報参謀、公平匡武高級参謀、岡田尚の四人は、
午前三時、一台の車で蘇州の司令部を発った。
南京の中山門外に着いたのは、八時間四十分後の午前十一時四十分。
四人は、十二時五分、十分をすぎても、その場で待ちつづけた。
しかし、待てど暮らせど、軍使は姿を見せなかった。武藤章参謀副長が、
「やっぱり駄目だったか。さあ帰ろう」
と、ため息をついた。
がっかりしたことと、眠っていなかったためか、武藤ら三人の参謀は、
帰りの車の中でぐっすり眠った。
ただ一人岡田は、翻訳のできが悪かったからではないか、と責任を感じ、
眠れぬまま八時間先の蘇州の司令部へ引きかえした。》
*
中山門外で中国軍軍使を待っていた人に、武藤章参謀副長とあるが、
これは早瀬氏の間違いで、塚田攻参謀長が本当らしい。
中山寧人氏の東京裁判証言では塚田攻参謀長となっている。
(富士信夫著
『「南京大虐殺」
はこうして作られた』
154p)
児島襄著
『日中戦争4』
198p
《 司令官唐生智は、「大日本陸軍総司令官」 松井大将の投降勧告は無視し、
回答期限の正午がきても、軍使を派遣することはなかった。
−
その正午、
中支那方面軍参謀長塚田攻少将は、南京・中山路東方の前線で
中国側軍使の到来を待っていたが、城門がひらかれる気配はなかった。
方面軍司令官松井大将は、午後一時、下令した。
「支那軍ハ、我勧告ヲ容レズシテ
依然抵抗ヲ続ケツツアリ。
上海派遣軍
並 (ならび) ニ第十軍ハ、南京城ノ攻略ヲ続行シ
城内ヲ掃蕩スベシ」》
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
428p
《 九日、方面軍司令官は、敵軍にたいし開城を勧告し、十日正午までに軍使をもって
回答するよう要求したが、これに応じなかったので、方面軍司令官は十日十三時、
両軍に、攻撃を続行し城内を掃蕩すべしと命じた。》
西岡香織著
『報道戦線から見た
「日中戦争」』
96p
《 唐生智は、この勧告文を無視して頑強な抵抗を続けたので、
十日午後一時から日本軍は総攻撃を開始した。》
* ラーベは日本が
「開城勧告」
をしている事を知らずに、
「三日間の停戦と中国軍の撤退」
を日中両方に出した。
しかし蒋介石は拒否した。そうなると、唐生智も
「開城勧告」
を受諾できない。
彼らは、ラーベの希望とは、逆の事ばかりやっている。
むしろ、日本の行動の方が、ラーベの希望に近かった。
これは メッセージ 920 (kireigotowadame さん)への返信です.
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