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12月10日 光華門城壁上に日章旗

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/07/27 18:34 投稿番号: [919 / 2250]
児島襄著   『日中戦争4』   196〜198p


《 夜おそく、難攻していた第六、第百十四師団の突撃が成功し、
牛首山に布陣していた中国軍第五十八師主力は、退却した。

第六師団長谷中将は、十二月十日午前三時すぎ、牛首山東麓に進出したが、
おりから山を下ってきた第十三、第四十五連隊が路上にあふれて混雑し、

司令部は約三十分間もたち往生した。
・・・


第六師団は、第十三連隊を先頭にして鉄心橋から雨花台方向にすすみ、
第百十四師団も第百二十七旅団   ( 第六十六、第百二連隊)   を雨花台に、

第百二十八旅団   (第百十五、第百五十連隊)   をその右側に進撃させた。

第九師団は、右翼の第六旅団のうち、第七連隊が中山門東方的五百メートルの水濠に
到達したが、濠の幅は七十メートルを超え、突破に難渋せざるを得なかった。

同旅団の第三十五連隊は、右側の紫金山で苦戦する第十六師団第三十三連隊の
応援にむかい、左翼の第十九連隊は雨花台東端を攻撃した。



光華門に肉迫していた第三十六連隊は、工兵隊が城壁を爆破して破孔をひらくと、
すかさず伊藤善光少佐指揮の第一大隊を突入させた。

伊藤少佐は、軍刀ふりかざして先頭に立ち、城壁に日章旗をかかげた。
南京城一番乗り   ―   である。

だが、敵城にかかげた国旗にたいする敬礼も、バンザイの歓呼をあげる余裕も、
第一大隊にはなかった。



城門守備は第七十一軍第八十七師   (沈発藻)   であったが、沈師長は反撃を
下令し、第三十六連隊第一大隊は集中する銃砲弾の渦の中にまきこまれた。

「敵軍小部隊突入城内、但被我殲滅」

中国側の   「抗日戦史」   は、そう記述している。

実際には、第一大隊長伊藤少佐は頭部に銃弾をうけて戦死したが、
大隊は   「城門を死守せよ」   という少佐の遺命にしたがい、

そのご三日間、第三十六連隊主力が光華門を占領するまで、城壁上に滞陣しつづけた。



南京の首都衛戍司令官唐生智は、光華門に第一五五師、その後方に第一五六師、
そして中山門に第一〇三師を増派し、紫金山の教導総隊、雨花台の第八十八師に

現位置の死守を命じ、さらに全軍に布告した。

「核心陣地   為   固守南京   之最後戦線、 各部隊   応以與陣地   共存亡之決心、

尽力固守、決不許軽棄寸土」》


この漢文を翻訳すると、多分

「南京これ最後の戦線、固く守って陣地の核心と為せ、各部隊   陣地と共に
存亡の決心で以て応え、固守に力を尽くし、決して寸土も軽く棄てるを許さず。」

だろう。



宋希濂の回想録   『鷹犬将軍』   より

《十日、敵軍の一部は光華門外郭に突入したが、教導総隊と八十七師
(沈発藻黄埔二期生の必死の反撃で、やっと失地を回復した。》

(鈴木明著   『「南京大虐殺」   のまぼろし』   258p)
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