三コ師団増派とその進捗 (しんちょく)
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/04/12 18:43 投稿番号: [804 / 2250]
井本熊男著
『支那事変作戦日誌』
152〜155pより
《 三ケ師団は第百一、第九、第十三の順序に九月中旬末から下旬にわたり、
神戸、大阪から出発し、九月下旬から十月上旬にわたり呉淞、上海間に上陸させる
ことになった。 増加兵団の動員下命から上海に到着するまでの約一ケ月間、
現地ではさらに苦戦の連続であった。
しかしこれ等の兵団が逐次到着して、戦線に加入することによって、
戦況に一つの転機を作った。
重藤支隊は九月十八日頃、羅店鎮北方川沙河口附近に上陸し、
急速に西進して九月二十日には羅店鎮西方約三キロに進出して、
西面して敵陣地に相対し、第十一師団の右側背を掩護する態勢をとった。
第十一師団は前記の如き天谷支隊の進出により、師団の主力をまとめることができ、
九月三十日には重藤支隊の左翼に連接して、西南面して約四キロの正面を保持した。
これで、一ケ月以上苦闘した羅店鎮周辺から、
一キロ乃至二キロ前進したことになったのである。
第三師団は、前記九月十七日の進出線から連続不断の力攻を続け、
約二週間の後に右翼方面は約二キロ前進し、
十月一日劉家行北方約二キロの張家角から、劉家行、
○ (厄+頁) 家宅を連ぬる堅固な敵陣地を攻略した。
第百一師団は九月二十日頃から呉淞附近に上陸して、薀藻浜クリーク北側地区を
攻撃前進し、九月三十日、その主力は第三師の左に連接して、
薀藻浜北岸に近く進出した。上陸点から約六キロの前進である。
第百一師団の谷川支隊は、上陸後第三師団の片山支隊と交代して
江湾鎮敵陣地に対し、片山支隊は九月末、第三師団主力に復帰した。
第九師団は九月二十三日頃から呉淞附近に上陸し、九月三十日、
主力を以て第十一、第三両師団の後方近く進出した。
第十三師団は九月下旬半頃から呉淞附近に上陸し、
十月十日頃主力を月浦鎮附近に集結した。
ここで戦況を大まかに振りかえって見ると、
八月二十三日、第三、第十一両師団の先遣隊が上陸して以来、
上海派遣軍は、薀藻浜クリーク以北の地域を攻撃正面として、
西方に向って力攻したがその戦況はあまり進捗しなかった。
九月下旬の兵力増加により、前記の如く一段の進捗を見て、
十月一日現在においては、東西に通ずる薀藻浜クリークと、
それに直角に南北に通ずる楊芤クリークで挟む、
直角の地域の大部分を攻略したことになった。
敵は依然楊芤の線に東面し、また薀藻浜の線に北面して重畳する
数線の陣地を占領して、わが攻撃を阻止している。
上海派遣軍はここにおいて、今までの西向きの主攻撃を南に向け、
まず大場鎮を攻略する戦闘指導の方策を立てた。
そこでこの方策を遂行するため、第三師団を左旋回の軸とし、
その右に第九師団を進出させ、この両師団を大場鎮に向わせるように指導した。
この際、第九師団の右には第十三師団を加入させ、その右に第十一師団、
重藤支隊と連接し、第十三師団より右は、依然西面して、敵陣地に対していた。
第百一師団は、戦況の進むに伴って、第三師団の左後方を前進させることにした。》
つづく
《 三ケ師団は第百一、第九、第十三の順序に九月中旬末から下旬にわたり、
神戸、大阪から出発し、九月下旬から十月上旬にわたり呉淞、上海間に上陸させる
ことになった。 増加兵団の動員下命から上海に到着するまでの約一ケ月間、
現地ではさらに苦戦の連続であった。
しかしこれ等の兵団が逐次到着して、戦線に加入することによって、
戦況に一つの転機を作った。
重藤支隊は九月十八日頃、羅店鎮北方川沙河口附近に上陸し、
急速に西進して九月二十日には羅店鎮西方約三キロに進出して、
西面して敵陣地に相対し、第十一師団の右側背を掩護する態勢をとった。
第十一師団は前記の如き天谷支隊の進出により、師団の主力をまとめることができ、
九月三十日には重藤支隊の左翼に連接して、西南面して約四キロの正面を保持した。
これで、一ケ月以上苦闘した羅店鎮周辺から、
一キロ乃至二キロ前進したことになったのである。
第三師団は、前記九月十七日の進出線から連続不断の力攻を続け、
約二週間の後に右翼方面は約二キロ前進し、
十月一日劉家行北方約二キロの張家角から、劉家行、
○ (厄+頁) 家宅を連ぬる堅固な敵陣地を攻略した。
第百一師団は九月二十日頃から呉淞附近に上陸して、薀藻浜クリーク北側地区を
攻撃前進し、九月三十日、その主力は第三師の左に連接して、
薀藻浜北岸に近く進出した。上陸点から約六キロの前進である。
第百一師団の谷川支隊は、上陸後第三師団の片山支隊と交代して
江湾鎮敵陣地に対し、片山支隊は九月末、第三師団主力に復帰した。
第九師団は九月二十三日頃から呉淞附近に上陸し、九月三十日、
主力を以て第十一、第三両師団の後方近く進出した。
第十三師団は九月下旬半頃から呉淞附近に上陸し、
十月十日頃主力を月浦鎮附近に集結した。
ここで戦況を大まかに振りかえって見ると、
八月二十三日、第三、第十一両師団の先遣隊が上陸して以来、
上海派遣軍は、薀藻浜クリーク以北の地域を攻撃正面として、
西方に向って力攻したがその戦況はあまり進捗しなかった。
九月下旬の兵力増加により、前記の如く一段の進捗を見て、
十月一日現在においては、東西に通ずる薀藻浜クリークと、
それに直角に南北に通ずる楊芤クリークで挟む、
直角の地域の大部分を攻略したことになった。
敵は依然楊芤の線に東面し、また薀藻浜の線に北面して重畳する
数線の陣地を占領して、わが攻撃を阻止している。
上海派遣軍はここにおいて、今までの西向きの主攻撃を南に向け、
まず大場鎮を攻略する戦闘指導の方策を立てた。
そこでこの方策を遂行するため、第三師団を左旋回の軸とし、
その右に第九師団を進出させ、この両師団を大場鎮に向わせるように指導した。
この際、第九師団の右には第十三師団を加入させ、その右に第十一師団、
重藤支隊と連接し、第十三師団より右は、依然西面して、敵陣地に対していた。
第百一師団は、戦況の進むに伴って、第三師団の左後方を前進させることにした。》
つづく
これは メッセージ 801 (kireigotowadame さん)への返信です.