杭州湾上陸作戦
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/24 18:57 投稿番号: [79 / 2250]
海軍戦史叢書『中国方面海軍作戦〈1〉』435〜440p
《 第十八師団は門司で乗船、十月九日五島富江泊地に集結し訓練。
第六師団及び国崎支隊は十月二十七日塘沽において乗船、八口浦 (木浦西方) に集合。
二十八日以降逐次一水戦(一部欠)と合同し待機。
豊田長官は 「妙高」 を率い、十月二十七日佐世保発、翌二十八日馬鞍群島緑華山錨地着、
同地において作戦準備、全作戦支援に任ずるとともに、駆逐艦に移乗し上海に回航、
長谷川長官らと作戦打ち合わせを行った。
「名取」 は十月三十日、第十軍司令部乗艦後佐世保発、富江において第十八師団の
揚陸演習指導の後、八口浦経由、十一月三日緑華山錨地着待機。
十一月二日、各護衛隊はそれぞれ船団を護衛し、上陸点に向け集合地を進発。
「夕暮」 のみ誘導すべきD隊の到着が遅れたため4日、上陸点に向かった。
船団は予定どおり南下した。・・・
17:29、二三〇度方向一五粁付近に英国駆逐艦を認めた。同艦は船団前方を横切り、
18:10 「川内」 の左舷正横二、五〇〇米を反航航過し、船団に接近した。
「由良」 及び第十六号掃海艇は英艦と同航監視した。
H作戦部隊指揮官は我が企図を暴露することを防ぐため、18:56、同作戦部隊あて、
「由良付近ニ英国駆逐艦アリ 極力送信電波ヲ捜索補捉セバ直グ知ラセ・・・」と命令した。
英国駆逐艦は第二船団左舷側を反航航過後第一船団に差しかかったので、
「木曾」及び直衛の駆逐艦は煙幕を展張し、船団を遮蔽した。
やがて煙幕の陰に英国駆逐艦を見失った。
23:45 「川内 」から第二船団あて、「泊地進入用意、K隊進出セヨ」 が下命され、
「若葉」 誘導の下にK隊は右に出て増速、C隊も右に出てK隊に続行し、第一分隊と並び三列縦隊となった。
当時の情況を第一水雷戦隊司令部事変日誌は
「・・・折シモ海上平穏ニシテ殆ド満天雲ニ掩ハレ新月二日ノ暗夜ハ奇襲進入ニ最適
・・・次第ニ濛気ヲ発生・・視界ハ日出後迄モ依然トシテ不良・・・揚陸状況ハ元ヨリ
上陸後ノ状況等モ少シモ知ルコトヲ得ザリキ」と記している。・・・
05:15上陸用舟艇に移乗した陸軍部隊は、濃霧の中を陸岸に向け輸送船を発進、上陸を開始した。
上陸軍は左側支隊正面で若干の抵抗を受けただけで、06:30完全に奇襲上陸に成功した。
10:50には早くも金山衛城に日章旗が掲げられた。六日正午、上海においては、
「日軍百萬上陸杭州北岸」 のアドバルーンが掲げられ、士気大いに上がった。
左側支隊は海岸線付近陣地による敵の頑強な阻止にあい、水際付近で対峙した。
杭州湾は潮の干満差は五米に及び、このため生ずる潮流は最大五節 (ノット) にも達するところであり、
左側支隊は時間の経過とともに潮が満ちて肩付近まで水に浸り対戦し、苦戦となった。
護衛艦隊は艦載機の全力を挙げて陸戦に協力した
陸軍側の要望により、揚陸用桟橋を構築することとなり、連合工作隊の編成が下命された。
上陸兵団の作戦進ちょく状況にかんがみ、第二次船団搭載の重器材は上海に揚陸することとなり
「有明」 は08:00泊地発、17:00呉淞に到着、「朝日」 と協同し輸送船の世話及び情況連絡等に従事した。この日揚陸作業は大いに進ちょくした。
十一月十一日、第百十四師団の戦列部隊は揚陸を完了した。
また上陸以来進撃を続けた第六師団は、上海派遣軍と完全に連係を確保した。
「有明」 は引き続き第一船団一二隻の荷揚促進に努めたが、兵船在泊輸送船は総数約六〇隻に達し埠頭待ちのため作業は進ちょくしなかった。 》
上海の港が混雑し埠頭待ちのため、荷揚げが遅れ、第十軍への物資の補給が遅れます。
《 第十八師団は門司で乗船、十月九日五島富江泊地に集結し訓練。
第六師団及び国崎支隊は十月二十七日塘沽において乗船、八口浦 (木浦西方) に集合。
二十八日以降逐次一水戦(一部欠)と合同し待機。
豊田長官は 「妙高」 を率い、十月二十七日佐世保発、翌二十八日馬鞍群島緑華山錨地着、
同地において作戦準備、全作戦支援に任ずるとともに、駆逐艦に移乗し上海に回航、
長谷川長官らと作戦打ち合わせを行った。
「名取」 は十月三十日、第十軍司令部乗艦後佐世保発、富江において第十八師団の
揚陸演習指導の後、八口浦経由、十一月三日緑華山錨地着待機。
十一月二日、各護衛隊はそれぞれ船団を護衛し、上陸点に向け集合地を進発。
「夕暮」 のみ誘導すべきD隊の到着が遅れたため4日、上陸点に向かった。
船団は予定どおり南下した。・・・
17:29、二三〇度方向一五粁付近に英国駆逐艦を認めた。同艦は船団前方を横切り、
18:10 「川内」 の左舷正横二、五〇〇米を反航航過し、船団に接近した。
「由良」 及び第十六号掃海艇は英艦と同航監視した。
H作戦部隊指揮官は我が企図を暴露することを防ぐため、18:56、同作戦部隊あて、
「由良付近ニ英国駆逐艦アリ 極力送信電波ヲ捜索補捉セバ直グ知ラセ・・・」と命令した。
英国駆逐艦は第二船団左舷側を反航航過後第一船団に差しかかったので、
「木曾」及び直衛の駆逐艦は煙幕を展張し、船団を遮蔽した。
やがて煙幕の陰に英国駆逐艦を見失った。
23:45 「川内 」から第二船団あて、「泊地進入用意、K隊進出セヨ」 が下命され、
「若葉」 誘導の下にK隊は右に出て増速、C隊も右に出てK隊に続行し、第一分隊と並び三列縦隊となった。
当時の情況を第一水雷戦隊司令部事変日誌は
「・・・折シモ海上平穏ニシテ殆ド満天雲ニ掩ハレ新月二日ノ暗夜ハ奇襲進入ニ最適
・・・次第ニ濛気ヲ発生・・視界ハ日出後迄モ依然トシテ不良・・・揚陸状況ハ元ヨリ
上陸後ノ状況等モ少シモ知ルコトヲ得ザリキ」と記している。・・・
05:15上陸用舟艇に移乗した陸軍部隊は、濃霧の中を陸岸に向け輸送船を発進、上陸を開始した。
上陸軍は左側支隊正面で若干の抵抗を受けただけで、06:30完全に奇襲上陸に成功した。
10:50には早くも金山衛城に日章旗が掲げられた。六日正午、上海においては、
「日軍百萬上陸杭州北岸」 のアドバルーンが掲げられ、士気大いに上がった。
左側支隊は海岸線付近陣地による敵の頑強な阻止にあい、水際付近で対峙した。
杭州湾は潮の干満差は五米に及び、このため生ずる潮流は最大五節 (ノット) にも達するところであり、
左側支隊は時間の経過とともに潮が満ちて肩付近まで水に浸り対戦し、苦戦となった。
護衛艦隊は艦載機の全力を挙げて陸戦に協力した
陸軍側の要望により、揚陸用桟橋を構築することとなり、連合工作隊の編成が下命された。
上陸兵団の作戦進ちょく状況にかんがみ、第二次船団搭載の重器材は上海に揚陸することとなり
「有明」 は08:00泊地発、17:00呉淞に到着、「朝日」 と協同し輸送船の世話及び情況連絡等に従事した。この日揚陸作業は大いに進ちょくした。
十一月十一日、第百十四師団の戦列部隊は揚陸を完了した。
また上陸以来進撃を続けた第六師団は、上海派遣軍と完全に連係を確保した。
「有明」 は引き続き第一船団一二隻の荷揚促進に努めたが、兵船在泊輸送船は総数約六〇隻に達し埠頭待ちのため作業は進ちょくしなかった。 》
上海の港が混雑し埠頭待ちのため、荷揚げが遅れ、第十軍への物資の補給が遅れます。
これは メッセージ 74 (kireigotowadame さん)への返信です.