捕虜の扱い
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/03/12 15:29 投稿番号: [773 / 2250]
よく通説では、日本は宣戦布告していないから、支那事変を正規の戦争とみなしていない。
だから、捕まえた中国兵を捕虜として扱わない。
故に、片っぱしから、殺した、と言われています。
しかし、ここ、上海では、その説は当っていないようです。
おっと、その前に、通州でも、日本人居留民二百人以上を虐殺した
保安隊員を、
捕虜にもせず、釈放していましたっけ。
では、上海に戻ります。
北博昭著 『日中開戦』
61p
《 竹下部隊は、この上陸支援作戦で20名近い中国軍将兵を捕らえた。
・・・
海軍省法務局は
「陸戦の法規慣例に関する規則の定める俘虜関係の条項を準用し、
支那軍将兵にして我権内に陥ったものは俘虜に準じて扱うべく」
と解していた。》
その捕虜の写真は
毎日新聞社刊
『不許可写真1 』
の24pに載っています。(8月23日づけで)
また、塚本誠氏の
『ある情報将校の記録』
204pには
《 浦東 (プートン) 方面からの砲撃も激しく、一迫撃砲弾は目の前の俘虜収容所に
なっている寺に命中したが軽傷者二名ですんだ。( 8月18日の話 )
とありますから、捕虜収容所はキチンと作られていたようです。
また、塚本氏はその著 『ある情報将校の記録』 203p
の中に
《 楊樹浦 (ヤンジッポ) 地区には電気・瓦斯会社等が多く、これに各国の権益が
いり混っていた。この地帯に対し中国軍は砲、爆撃を加えてくるのであった。
私はまずわが警備地域に残留している中国人を蘇州河以南へ移すことに努力する。
それは残留中国人が日本人からスパイや便衣隊に疑われて迫害をうけた例が
第一次上海事変当時に多かったからである。
現に戦闘開始後憲兵隊には陸戦隊から毎日二十名近くの中国人が
疑いをかけられて送り込まれる。
すぐ放置するわけにもいかぬから、それを一応調べた上で工部局警察に引き渡す。
無辜の民を捕えておくことはできない。》
と書いています。
彼の行動は、一般に言われているところの、残虐な日本軍とは、正反対のようです。
優しい、通州事件の処理と同じタイプですね。
そして、北博昭著 『日中開戦』
66〜67pには
《 昭和十二年九月末ごろに陸軍は上海の楊樹浦の眉州に俘虜の収容所を設けて
中国軍の士官一名、准士官二名、下士官二名、兵一八名を収容中、
国際赤十字社のドワットヴィユへ報告されてはいる》
ともあります。
ともかく、上海に関しては、通説は当てはまってないようです。
つづく
これは メッセージ 772 (kireigotowadame さん)への返信です.
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