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7月27日 桜井顧問の救出

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/12/13 19:37 投稿番号: [665 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
341〜343p

《 午前二時二十分、広部大隊は全員警備隊兵営に到着した。 真ッ暗な営庭の中央、
降る雨の中に立って、広部大隊長が粛然、岡村警備隊長に対して行なった申告は、

万感胸に迫って時々杜絶えた。 新聞記者連は一ケ所に寄り集って、おたがいに
「おめでとう。よく助かったな」 「いや、俺はもうあの時、とても駄目だと思ったよ」

と感激の握手を交していた。
  やがて記者団が軍使一行を取り囲んだ。

毎日新聞社の本田親男特派員が私のところへ来て   「大変お世話になりました。
全く、あなた方のお陰で私達、ようやく命拾いが出来ました」



「いや、あれは決して私達の力じゃない。
みんな周参謀の努力ですよ。

弾の中へでも青竜刀の下へでも、平気でとび込んで行って、
実に手際よく日華両軍の間を調停してくれた。

今時の中国には、全くめずらしい人物ですね。
オイ、周参謀はそこらにいないかな」

「たった今までここにおりましたが、さあ今度は桜井顧問を見つけ出しに
行かなくっちゃといって、自動車の方へ歩いて行きました」



軍使一行はこうして無事、部隊救出の任務を達成した。

しかし軍事顧問桜井徳太郎少佐をはじめとして、川村、吉富、斉藤等各機関員の
姿は、依然、どこからも見出されない。

これを思うと、暗い気持に引ずり込まれて行くのだった。

「桜井さんは、私が責任をもって捜し出して来ます。たとい私は殺されても、
顧問だけは必ず助け出して日本側の手にお返し致します。

どうか一切を私にお委せ下さい」
そういって再び広安門に引き返して行った周参謀だった。

その彼は、広安門大街外四区の警察分所に到着すると、
直ぐ巡警に命じ、全員を手分けして広安門内外の捜索を始めさせた。



暁闇煙る雨の中、城門のあたりから   「桜井顧問 (インジンクーウェン)!」
「桜井顧問 (インジンクーウェン)!」   と巡警等の叫びが沈痛に響いてくる。

午前四時少し前、かねて顔見知りの巡警の一人が、
ようやく顧問の所在を広安門の真下、物置小屋で発見した。

身に数創をうけた桜井顧問は、取りあえず警察分所に担 (かつ) ぎ込まれ、
周参謀から応急の手当をうけると、そのまま自動車に運ばれて、

午前四時半、安全に特務機関に送り込まれた。脚腰立たない顧問ではあったが、
己が身の痛みは一言半句訴える事なく、厳粛な態度で

「機関長殿、川村芳男を広安門で、とうとう殺してしまいました。
まことに申し訳ございません」

ここに初めて顧問の口から、川村機関員の壮烈極まる最期の模様が報告されたのである。
機関員一同は暗然首を垂れて顧問の話に耳を傾けた。



川村の死体は殺された直後、城壁上から城外に放り落され、
城門南側、小屋の裏手に埋められてあったのを、数日の後、

和田嘱託が現場に赴いて掘り起し、丁重に荼毘に付した後、
北京本願寺で盛大に葬儀を営んだ。

張自忠、張璧、斉燮元をはじめ、日華各界の要人から贈られた花輪は堂を埋め、
香煙縷々として立ち昇る仏壇の前で、機関員連は、そぞろ凄壮を極めた広安門の

一夜に想いをめぐらし、懇 (ねんご) ろに彼の霊を弔ったのである。

部隊入城の際、城門の傍に立って開扉の責を果した吉富、斉藤両機関員は、
いよいよ交戦状態に陥ると同時に、銃火の間断を利用して城外に脱出し、

翌朝未明、苦力に変装して高梁畑の中を進み、
無事豊台の旅団司令部にたどりつく事が出来たのであった。》


つづく
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