入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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回帰不能地点に近づく

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/11/13 15:06 投稿番号: [635 / 2250]
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
160〜162p

《 七月二十三日朝、上海で   「出兵再度の中止」   という東京からの報道を知った私は、
いささか愁眉を開いた。

そのころ、近衛さんの努力はまだ知らなかったが、少なくも橋本参謀長と
陸軍中央の不拡大派の努力には、衷心から尊いものを感じた。



かつて伊藤博文が、「難しいのは軟論を主張することだ」   と、口癖のようにいっていたと、
私は、滞米留学中に当時のニューヨーク総領事の斎藤博さんから聞いたことがあった。

そのときは、 「軟論がそんなに難しいものかなあ」   と怪しんだが、
上海で日中関係を真剣に考えるようになった私としては、

伊藤のことばの意味が骨身に沁みて解るようになった。

事ついに成らずとしても、橋本参謀長らが、盧溝橋事件突発以来二週間のあいだ、
よくも   「軟論」   を主張しつづけたものと、頭が下った。

橋本参謀長が、現地にありながら軟論をひっさげて東京をリードし、
関東軍などを抑えてきたその勇気と労苦を、

この回想録にいささか記録しておきたいと思って、
私は、上段、随処に触れたのであった。



盧溝橋事件当時の情勢は、大観すれば、歴史上の大きな力と力とが
ぶつかり合わんとするものであった。

それは、橋本個人の力などでは、所詮、処置し得ないものであった。
橋本参謀長が中国側から一片の誓約書をとりつけても、

抗日風潮の極度の昂揚の下にある、第二十九軍の将兵すべてを、
誓約のままに行動せしめることを期待するのは無理であった。

誠実な人だけに、約束違反の大小の事件が相手方に続出するとなれば、
その怒りも真剣たらざるを得なかった。

また、北平 (北京の事) の日本居留民も、戦々兢々としていたので、
橋本参謀長としても、北平に増兵する必要を感じないわけにいかなかった。

七月二十四日になると、豊台発の左のごとき気になるような同盟電が入った。



「確報によれば、馮治安の第三十七師の撤退は依然はかばかしからず、
五列車によって輸送された兵力は約一団(連隊相当−松本註)に過ぎない。

また盧溝橋対岸には明らかに約二箇営の馮治安軍があり、
左岸盧溝橋に入る形勢を示している。

さらに八宝山、衛門口後方の田村附近に相当の部隊が集結し、西苑に入るのを肯じない。

一方、わが天津〜豊台間の軍用電話線は頻々として切断されるのみならず、
保線のため出動した部隊に対し、包囲姿勢をとり威嚇するなど、

中国軍の不信行為はふたたび激化の兆があるので、わが軍は冷厳な決意を固めている。」
(『同盟旬報』第一巻四号、10ページ所収)



この電報は、現地の状態が、円満収拾どころか、一転急変して、俄然、
回帰不能地点に日一日と近づきつつあることを報じたもののごとくであった。》


*   伊藤博文が、 「難しいのは軟論を主張することだ」   と言っていたとあるが、
   チャンとした軍隊があり、かつ、強い時は   それは正論であろう。

   しかし、今のように、平和憲法で軍隊が否定されている時は、 「軟論」   しか許されない。
   今の日本では   「硬論を主張する」   方が難しいのだ。

   「憲法を改正して、軍隊を」   等と言えば、悪魔のように見なされる。
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