大場鎮攻略と陸戦隊の閘北制圧
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/18 19:11 投稿番号: [62 / 2250]
井本熊男著 『支那事変作戦日誌』 156〜157pより
《 10月23日、漸く大場鎮攻撃が始まり、右より第9、第3と併列した両師団は、
各々約2キロの戦闘正面を以て重点を第3師団に保持して猛攻した。
この戦闘では、第3師団の正面に約120門の我砲兵火が指向せられた。
上海派遣軍には重砲兵が少なかったので、三ケ師団増派の際、
砲兵力の不足を補うため15サンチ榴弾砲一旅団と一聯隊、15サンチ加農砲二大隊、
10サンチ加農砲四乃至五大隊、24サンチ榴弾砲一大隊等が派遣せられ、
その他北支から15サンチ加農砲二大隊を10月中旬、上海に転用の処置をした。
右の砲兵諸部隊の増加は、大部分到着し大場鎮の戦闘に間に合った。
遺憾ながら弾薬が十分になかった。
そのため砲数に比例した砲兵火力の発揮ができなかったのである。
一般に上海戦の困難は、弾薬の不足がその重大原因の一つであった。
第9、第3両師団は力攻に力攻を重ね、10月25日遂に大場鎮の陣地を突破して、その南方に戦果を拡張した。》
注:加農砲はキャノン砲
閘北 (ザホク) 制圧
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』 400〜402 pより
《 8日、上海派遣軍は大場鎮攻略を下命した。
同日付、上海特別陸戦隊は陸上戦闘に関し上海派遣軍司令官の指揮を受けることとなった。
このころ上海方面は連日降雨、敵はこれを利用し10日、11日各千名近くの兵力を
閘北方面に増勢した模様であった。我が方は連日砲戦を継続した。
13日我が砲隊は一航戦 (第一航空戦隊の略) と協力し、閘北鉄道管理局、敵砲隊陣地を砲撃した。
北部支隊方面は12〜13日の夜 敵の活発な逆襲を撃退した。
14日も一航戦と協力し閘北南西部を砲撃した。 数カ所に火災が発生した。 ところが、
18:30ごろ三義里方面の敵が我が第二大隊正面に主攻撃を向け虹口方面租界に侵入すべく猛撃を開始した。
19:00ごろ敵の銃隊二コ中隊が三義里方面から第二大隊川公路陣地方面へ来襲、
続いて第十大隊ハスケル路陣地へ約二コ中隊が突撃、20:00ごろ敵の攻撃最も猛烈を極めた。
各隊は本隊から増援を得て奮戦二時間半、敵に多大の損害を与え撃退した。
15日、日没後北部支隊及び閘北部隊正面に敵の逆襲があったが直ちに撃退した。
翌16日我が方は、閘北広東中学及び江湾南方の商学院にいた敵部隊をまず一航戦の爆撃により逃走させ機銃掃射で損害を与えた。
・・・
20日北四川路方面に、21日全線にわたり敵は攻撃の気配を見せたが、いずれも撃退した。
・・・
23日敵は後退を開始した模様であった。24日上海派遣軍司令官の命令に基づき攻撃開始、
北四川路方面の我が部隊は逐次進出し、北部八字橋方面は夜に至るまで攻撃を続行した。
25日も派遣軍の攻撃前進に策応し攻撃続行に努めたが閘北方面の敵は動揺の色を見せず、
北部戦線では同夜商科大学を占領した。
26日22:30ごろ敵は北四川路方面に対し大規模な逆襲を決行してきたが、我が方は交戦一時間この敵を撃退した。
この日陸軍部隊は夕刻、既に大場鎮を占領しており、敵は蘇州河に向け退却中であった。
そこで陸戦部隊も26日夜、絶えず敵と接触を保持し特に左翼の蘇州河方面では激戦を継続のまま、
27日04:30月明を利用し、予定計画に基づき右翼に重点をおいて総攻撃を開始した。
05:05全軍進撃開始、各隊は宝興路の敵第一線突破に全力を挙げた。 右翼隊が最初に
第一線突破に成功し07:00閘北西端に進出し、更に南方に転じて敵の退路を遮断するよう行動した。
同時刻左翼隊は北停車場鉄路管理局を占領、次いで中央隊及び左翼隊は敵を逐次西方及び南方、
次いで東方ポケット地帯内に追いつめ掃蕩した。
そして18:00ごろ西行上海貯蓄総公貨桟(四行倉庫)に追いつめた残敵約一〇〇名の外、夜間各部の残敵を掃蕩した。
なお別に西方に向かい追撃した一隊は真茹駅を占領した。
この戦闘で我が陸戦部隊は閘北全部、大隆鉄廠、中央造兵廠、真茹駅を占領、・・・。
四行倉庫の残敵に対してはその後包囲態勢を取り降伏勧告をしたが応じなかったので、
31日01:45砲撃制圧する一方、03:00突撃隊が突入し完全に残敵を掃蕩した 》
《 10月23日、漸く大場鎮攻撃が始まり、右より第9、第3と併列した両師団は、
各々約2キロの戦闘正面を以て重点を第3師団に保持して猛攻した。
この戦闘では、第3師団の正面に約120門の我砲兵火が指向せられた。
上海派遣軍には重砲兵が少なかったので、三ケ師団増派の際、
砲兵力の不足を補うため15サンチ榴弾砲一旅団と一聯隊、15サンチ加農砲二大隊、
10サンチ加農砲四乃至五大隊、24サンチ榴弾砲一大隊等が派遣せられ、
その他北支から15サンチ加農砲二大隊を10月中旬、上海に転用の処置をした。
右の砲兵諸部隊の増加は、大部分到着し大場鎮の戦闘に間に合った。
遺憾ながら弾薬が十分になかった。
そのため砲数に比例した砲兵火力の発揮ができなかったのである。
一般に上海戦の困難は、弾薬の不足がその重大原因の一つであった。
第9、第3両師団は力攻に力攻を重ね、10月25日遂に大場鎮の陣地を突破して、その南方に戦果を拡張した。》
注:加農砲はキャノン砲
閘北 (ザホク) 制圧
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』 400〜402 pより
《 8日、上海派遣軍は大場鎮攻略を下命した。
同日付、上海特別陸戦隊は陸上戦闘に関し上海派遣軍司令官の指揮を受けることとなった。
このころ上海方面は連日降雨、敵はこれを利用し10日、11日各千名近くの兵力を
閘北方面に増勢した模様であった。我が方は連日砲戦を継続した。
13日我が砲隊は一航戦 (第一航空戦隊の略) と協力し、閘北鉄道管理局、敵砲隊陣地を砲撃した。
北部支隊方面は12〜13日の夜 敵の活発な逆襲を撃退した。
14日も一航戦と協力し閘北南西部を砲撃した。 数カ所に火災が発生した。 ところが、
18:30ごろ三義里方面の敵が我が第二大隊正面に主攻撃を向け虹口方面租界に侵入すべく猛撃を開始した。
19:00ごろ敵の銃隊二コ中隊が三義里方面から第二大隊川公路陣地方面へ来襲、
続いて第十大隊ハスケル路陣地へ約二コ中隊が突撃、20:00ごろ敵の攻撃最も猛烈を極めた。
各隊は本隊から増援を得て奮戦二時間半、敵に多大の損害を与え撃退した。
15日、日没後北部支隊及び閘北部隊正面に敵の逆襲があったが直ちに撃退した。
翌16日我が方は、閘北広東中学及び江湾南方の商学院にいた敵部隊をまず一航戦の爆撃により逃走させ機銃掃射で損害を与えた。
・・・
20日北四川路方面に、21日全線にわたり敵は攻撃の気配を見せたが、いずれも撃退した。
・・・
23日敵は後退を開始した模様であった。24日上海派遣軍司令官の命令に基づき攻撃開始、
北四川路方面の我が部隊は逐次進出し、北部八字橋方面は夜に至るまで攻撃を続行した。
25日も派遣軍の攻撃前進に策応し攻撃続行に努めたが閘北方面の敵は動揺の色を見せず、
北部戦線では同夜商科大学を占領した。
26日22:30ごろ敵は北四川路方面に対し大規模な逆襲を決行してきたが、我が方は交戦一時間この敵を撃退した。
この日陸軍部隊は夕刻、既に大場鎮を占領しており、敵は蘇州河に向け退却中であった。
そこで陸戦部隊も26日夜、絶えず敵と接触を保持し特に左翼の蘇州河方面では激戦を継続のまま、
27日04:30月明を利用し、予定計画に基づき右翼に重点をおいて総攻撃を開始した。
05:05全軍進撃開始、各隊は宝興路の敵第一線突破に全力を挙げた。 右翼隊が最初に
第一線突破に成功し07:00閘北西端に進出し、更に南方に転じて敵の退路を遮断するよう行動した。
同時刻左翼隊は北停車場鉄路管理局を占領、次いで中央隊及び左翼隊は敵を逐次西方及び南方、
次いで東方ポケット地帯内に追いつめ掃蕩した。
そして18:00ごろ西行上海貯蓄総公貨桟(四行倉庫)に追いつめた残敵約一〇〇名の外、夜間各部の残敵を掃蕩した。
なお別に西方に向かい追撃した一隊は真茹駅を占領した。
この戦闘で我が陸戦部隊は閘北全部、大隆鉄廠、中央造兵廠、真茹駅を占領、・・・。
四行倉庫の残敵に対してはその後包囲態勢を取り降伏勧告をしたが応じなかったので、
31日01:45砲撃制圧する一方、03:00突撃隊が突入し完全に残敵を掃蕩した 》
これは メッセージ 61 (kireigotowadame さん)への返信です.