南市にジャキノ難民区設立
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/06/17 19:27 投稿番号: [61 / 2250]
松本重治著『上海時代・下』230〜235pより
大場鎮が陥落する前
『マンチェスター・ガーディアン』 の特派員ティンパーレーが、
「同盟」 支社の松本重治氏を訪ね、南市の一部を難民区にする相談を持ちかけました。
これはジャキノ神父の構想で、「信頼するに足る日本人」 を知らないからと、ティンパーレー
に相談をもちかけ、ティンパーレーが友人の松本支局長に話を持ってきたのです。
なお、このティンパーレーとは、後に、南京大虐殺の元になる本を書く人です。
そこで、松本氏は日高参事官に話をしました。
《すると、日高さんは、「では、ご両人に来てもらい、直接話をうかがいましょう。
よい考えだから、私もできるだけ尽力しましょう」 といってくれた。
すぐ翌日の約束の時間を打ち合せ、支社にとって返して、私は、ティンパーレー君に
その旨電話をかけた。ちょうどジャキノ神父も同席で、両人はとても喜んでくれた。
翌日、日高さんは、ジャキノ神父とティンパーレー君から詳細の計画を聞き、すぐ協力を約したが、
彼は、南市の問題を担当していた陸軍特務部の楠本大佐と連絡して、協力を得たうえ、
松井軍司令官と長谷川司令長官とに、直接、会見して、両首脳者の賛成を得た。
その間の日高さんの活動は、いとも鮮やかであったが、それについては、
日高さんによる 「極東国際軍事裁判所宣誓供述書」 の数行を左に引用したい。
「・・・・私は岡本上海総領事及び岡崎総領事と協議し、この案の実現の為、お世話を致しました。
松井陸軍最高司令官も長谷川海軍最高司令も最初から極めて好意的な態度を示され、
これを認めることになり、中国側もこれを認めました。
そのさい松井軍司令官は金壱万円を委員会に寄付し・・・
長谷川司令長官も同額を贈られました。
また広田外務大臣は十二月八日付でジャキノ神父宛書翰を送り、その人道的事業に対する
日本国民の讃美と敬意とを伝え、その成功を祈る旨を表明されました。
この計画を日本国が認めたのは、
(1)この地区は純粋の支那町であり、またジャキノ神父はじめ委員全部の
公正無私な気持や態度が明瞭であったこと。
(2)委員会は、戦闘のある場合、中国非戦闘員を収容保護し、戦闘終了後は、暫くの間、
引き続彼等を救護するが、地区内の行政や取締りは日本軍の全権力の下にある
ことを認め、委員会はこれに関与せぬことを最初から明かにしたこと。
(3)この地区に隣接した仏租界当局の好意的協力があったため、委員会は、戦闘中
同地区の 『中立性』 を維持する実力を持つと認められたこと。
(4)同地区の位置に鑑み、戦闘が近くで行われた場合、その 『安全』 を尊重することが
出来ると認められたこと等の理由に基づくものでありました。
上海戦の最後の段階には、この地区の境まで戦脚が及びましたが、日本軍の砲弾は
一発も地域内に落下せず、逃げ込んだ中国兵は委員の手によって、
みな武装解除され、日本軍は地区内に入らず、極めて平穏に経過しました。
かくて、同地区は、数千戸の中国家屋と、約二十五万人の中国民衆の生命とを救い得たのであります。》
ということです。
このようにして難民区は、松井司令官、長谷川長官賛助のもとにつくられました。 しかし、
この善意の松井司令官が、後に大虐殺の責任者として処刑される原因の本を書いたのも、
このティンパーレーです。
大場鎮が陥落する前
『マンチェスター・ガーディアン』 の特派員ティンパーレーが、
「同盟」 支社の松本重治氏を訪ね、南市の一部を難民区にする相談を持ちかけました。
これはジャキノ神父の構想で、「信頼するに足る日本人」 を知らないからと、ティンパーレー
に相談をもちかけ、ティンパーレーが友人の松本支局長に話を持ってきたのです。
なお、このティンパーレーとは、後に、南京大虐殺の元になる本を書く人です。
そこで、松本氏は日高参事官に話をしました。
《すると、日高さんは、「では、ご両人に来てもらい、直接話をうかがいましょう。
よい考えだから、私もできるだけ尽力しましょう」 といってくれた。
すぐ翌日の約束の時間を打ち合せ、支社にとって返して、私は、ティンパーレー君に
その旨電話をかけた。ちょうどジャキノ神父も同席で、両人はとても喜んでくれた。
翌日、日高さんは、ジャキノ神父とティンパーレー君から詳細の計画を聞き、すぐ協力を約したが、
彼は、南市の問題を担当していた陸軍特務部の楠本大佐と連絡して、協力を得たうえ、
松井軍司令官と長谷川司令長官とに、直接、会見して、両首脳者の賛成を得た。
その間の日高さんの活動は、いとも鮮やかであったが、それについては、
日高さんによる 「極東国際軍事裁判所宣誓供述書」 の数行を左に引用したい。
「・・・・私は岡本上海総領事及び岡崎総領事と協議し、この案の実現の為、お世話を致しました。
松井陸軍最高司令官も長谷川海軍最高司令も最初から極めて好意的な態度を示され、
これを認めることになり、中国側もこれを認めました。
そのさい松井軍司令官は金壱万円を委員会に寄付し・・・
長谷川司令長官も同額を贈られました。
また広田外務大臣は十二月八日付でジャキノ神父宛書翰を送り、その人道的事業に対する
日本国民の讃美と敬意とを伝え、その成功を祈る旨を表明されました。
この計画を日本国が認めたのは、
(1)この地区は純粋の支那町であり、またジャキノ神父はじめ委員全部の
公正無私な気持や態度が明瞭であったこと。
(2)委員会は、戦闘のある場合、中国非戦闘員を収容保護し、戦闘終了後は、暫くの間、
引き続彼等を救護するが、地区内の行政や取締りは日本軍の全権力の下にある
ことを認め、委員会はこれに関与せぬことを最初から明かにしたこと。
(3)この地区に隣接した仏租界当局の好意的協力があったため、委員会は、戦闘中
同地区の 『中立性』 を維持する実力を持つと認められたこと。
(4)同地区の位置に鑑み、戦闘が近くで行われた場合、その 『安全』 を尊重することが
出来ると認められたこと等の理由に基づくものでありました。
上海戦の最後の段階には、この地区の境まで戦脚が及びましたが、日本軍の砲弾は
一発も地域内に落下せず、逃げ込んだ中国兵は委員の手によって、
みな武装解除され、日本軍は地区内に入らず、極めて平穏に経過しました。
かくて、同地区は、数千戸の中国家屋と、約二十五万人の中国民衆の生命とを救い得たのであります。》
ということです。
このようにして難民区は、松井司令官、長谷川長官賛助のもとにつくられました。 しかし、
この善意の松井司令官が、後に大虐殺の責任者として処刑される原因の本を書いたのも、
このティンパーレーです。
これは メッセージ 60 (kireigotowadame さん)への返信です.