関東軍の説得3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/13 18:34 投稿番号: [602 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
252〜254p
《 私が北京方面の軍事情勢を説明すると、連隊長は黙々としてそれに耳を傾けた。
不拡大の精神、特に北京城攻撃回避のことに就いて説明すると、連隊長は
「よくわかりました。それは天津軍の方針なんですね。
関東軍には関東軍としての方針があり立場がありますから、
一にその方針に基いて行動します。
まあ君のご意見も一応の参考として承っておきましょう」
− なるほど連隊長は旅団長の命令には絶対服従すべきであり、
勝手な行動をとる事は許されぬかも知れぬ。
しかし私が、千言万語を費して述べた重大方針を、一応の参考くらいに軽視されたのでは、
この忙しい最中、わざわざ懐柔くんだりまでやって来た意味がない。
事によるとこの説得は、秦徳純を説き伏せる以上、骨が折れるかもわからない。
よしっ、それならばそれで考えがある。
これはジワリジワリ、溺手 (からめて) の方から説明を継続し、必ずこの連隊長を
懐柔してやろう。そうしない事には私の任務が達成されやしない。 −
ちょうどその時である。副官が連隊長室に入って来た。
「ただいま北京特務機関の補佐官が、懐柔に来ておられる事を旅団司令部に報告しました。
そしたら旅団長閣下は、補佐官を大変によくご存知だそうで、閣下ご自身電話口に
お出になり、補佐官にすぐ、古北口まで足を伸ばすよう伝えて欲しい。
北京方面の情勢について、直接お話もうかがいたいし、
お尋ねしたい事も沢山あるから、との事でございました」
私は最初、日帰りのつもりでここまでやって来たのであるが、
連隊長に対する説得が停頓している現在、
これは一層のこと、旅団長に説明した方がより以上効果的だと考えた。
ことに鈴木重康中将は、かつて静岡で隊付時代、
目をかけていただいた間柄であり、また最も畏敬している上官でもあった。
将軍なら不拡大の真意も十分わかってもらえるに違いない。
さらに酒井鎬次機械化兵団司令部も、いま、古北口に来合せていると聞いて、
これはもう、日帰り案なんか捨てて足を伸ばさなければいかん、と決心した。
携えて行った沢山の資料は、ことごとく麦倉連隊の副官にことずけ、
旅団長の指示に基いて分配して欲しいと依頼した。
私は午後一時、懐柔を出発、車を古北口に向けて走らせた。密雲を過ぎ穆家峪に
差しかかると、前から戦車と装甲自動車の大集団が、続々南下して来るのに出会った。
シッカリ偽装網をかぶっているが、車体はおびただしい埃を浴び、
兵の大半はその車の上で、他愛もなく睡りこくっていた。
これが公主嶺からやって来たという、酒井機械化兵団、長谷川美代次大佐の部隊だった。
道幅が狭いので車のすれ違いが出来ない。
私は車を道路協に留め、小高い丘の上に立って、よく子供がするように一輌二輌と
装甲自動車を数え始めた。しかし百輌二百輌という数になると、
もう馬鹿らしく、数えきれるものではない。
私は青草の上に、身を投げ出した。》
つづく
252〜254p
《 私が北京方面の軍事情勢を説明すると、連隊長は黙々としてそれに耳を傾けた。
不拡大の精神、特に北京城攻撃回避のことに就いて説明すると、連隊長は
「よくわかりました。それは天津軍の方針なんですね。
関東軍には関東軍としての方針があり立場がありますから、
一にその方針に基いて行動します。
まあ君のご意見も一応の参考として承っておきましょう」
− なるほど連隊長は旅団長の命令には絶対服従すべきであり、
勝手な行動をとる事は許されぬかも知れぬ。
しかし私が、千言万語を費して述べた重大方針を、一応の参考くらいに軽視されたのでは、
この忙しい最中、わざわざ懐柔くんだりまでやって来た意味がない。
事によるとこの説得は、秦徳純を説き伏せる以上、骨が折れるかもわからない。
よしっ、それならばそれで考えがある。
これはジワリジワリ、溺手 (からめて) の方から説明を継続し、必ずこの連隊長を
懐柔してやろう。そうしない事には私の任務が達成されやしない。 −
ちょうどその時である。副官が連隊長室に入って来た。
「ただいま北京特務機関の補佐官が、懐柔に来ておられる事を旅団司令部に報告しました。
そしたら旅団長閣下は、補佐官を大変によくご存知だそうで、閣下ご自身電話口に
お出になり、補佐官にすぐ、古北口まで足を伸ばすよう伝えて欲しい。
北京方面の情勢について、直接お話もうかがいたいし、
お尋ねしたい事も沢山あるから、との事でございました」
私は最初、日帰りのつもりでここまでやって来たのであるが、
連隊長に対する説得が停頓している現在、
これは一層のこと、旅団長に説明した方がより以上効果的だと考えた。
ことに鈴木重康中将は、かつて静岡で隊付時代、
目をかけていただいた間柄であり、また最も畏敬している上官でもあった。
将軍なら不拡大の真意も十分わかってもらえるに違いない。
さらに酒井鎬次機械化兵団司令部も、いま、古北口に来合せていると聞いて、
これはもう、日帰り案なんか捨てて足を伸ばさなければいかん、と決心した。
携えて行った沢山の資料は、ことごとく麦倉連隊の副官にことずけ、
旅団長の指示に基いて分配して欲しいと依頼した。
私は午後一時、懐柔を出発、車を古北口に向けて走らせた。密雲を過ぎ穆家峪に
差しかかると、前から戦車と装甲自動車の大集団が、続々南下して来るのに出会った。
シッカリ偽装網をかぶっているが、車体はおびただしい埃を浴び、
兵の大半はその車の上で、他愛もなく睡りこくっていた。
これが公主嶺からやって来たという、酒井機械化兵団、長谷川美代次大佐の部隊だった。
道幅が狭いので車のすれ違いが出来ない。
私は車を道路協に留め、小高い丘の上に立って、よく子供がするように一輌二輌と
装甲自動車を数え始めた。しかし百輌二百輌という数になると、
もう馬鹿らしく、数えきれるものではない。
私は青草の上に、身を投げ出した。》
つづく
これは メッセージ 599 (kireigotowadame さん)への返信です.