戦争を望む中国と望まない日本
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/06/15 18:40 投稿番号: [477 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
38p
《 四月三日の朝、北寧鉄道の沿線、落垈 (ラオファー) の西方で、
日本の軍用電線が八間隔にわたって切断された。
この場所は私の着任前、一月十八日にも五間隔ばかり切断された前例もあり、
かたがた、軍参謀長は四月八日、河北省政府主席馮治安に対し、
犯人の逮捕、・・・、以上四項目を要求した。
彼は、これに対してなんらの回答もしてこない。
そのうち五月三日、落垈 (ラオファー) の同一地点で、
またもや八間隔の切断事件が報告されてきた。
・・・
39p
六月五日黎明 (れいめい)、またもや同一場所で五間隔が切断されたのである。
さすがに温厚な松井機関長も業を煮やした。
44p
南苑の第三十八師・・・。一日司令部で将校の兵棋戦術が統裁され、
団を単位とする防禦戦闘が研究題目になった。その時若い将校が一人、
席を蹴って起ち上がった。「統裁官、我々は防禦の研究はもう沢山です。
それよりもっと大切な、奇襲攻撃を指導して下さい。・・我々はすべからく、
こちらから逆九・一八を仕掛けるくらいの決意があってしかるべきです」
その意気当るべからざるものがあった。
統裁官はこれをなだめ 「意見はなるほどもっともである。
しかし今日の研究課題は防禦戦闘という事になっているのだから…‥」
「いや豊台を奇襲することは焦眉の急です。今晩もし、
日本側から奇襲を仕掛けて来たら我我はいったいどうなってしまいます」
「統裁官、私も豊台即時襲撃論に賛成です。逆九・一八をやらなくちゃだめです」
* このように、中国側では、下の方が対日戦争を要求していました。
一方、日本側は
47p
「七夕様の晩に華北で第二の柳条満車件が起る」 という謡言は、
私はじめ現地で耳にした者はない。
それがどういうものか、遥か海を越えた東京三宅坂あたりに、
ある程度の迫真力をもって伝えられていったという事実がある。
これが参謀本部の作戦部長石原莞爾少将に考えさせるものがあった。
早速陸軍省軍務局長後宮 (うしろく) 淳 (じゅん) 少将とも相談し、
軍事課の高級課員岡本清福中佐を現地に派し、
華北の情勢を仔細に検討させることになった。
出発に当って石原少将は「現地の若い連中が、何かエラく勢込んでいる風評がある。
とんでもない事だ。バカげた事件でも起すといかん。
至急現地に行って、それらの芽生えを摘み取って来てくれ」といった。
岡本中佐は華北にとんだ。そして山海関 (さんかいかん)、ラン州 、唐山、
天津等現地部隊の情況を逐次打診した。
橋本参謀長と言い池田純久経済参謀と言い、時局に対してはいたって冷静であり慎重である。
和知機関にせよ茂川機関にせよ極めて神妙であって、
軽挙妄動するような気配は微塵だにも感ぜられない。
引き続き北京を訪れた岡本中佐は、同期の木原義雄大隊長を交えて、
河辺旅団長のもとで懇談した。旅団長は語った。
「現地軍の思潮、これには何ら憂慮すべき点はない。ことに私の隷下部隊に関する限り、
厳に軽挙妄動を戒め、慎重の上にも慎重を期するよう徹底させてある。
この事は安心して内地に復命してくれ給え」》
つづく
38p
《 四月三日の朝、北寧鉄道の沿線、落垈 (ラオファー) の西方で、
日本の軍用電線が八間隔にわたって切断された。
この場所は私の着任前、一月十八日にも五間隔ばかり切断された前例もあり、
かたがた、軍参謀長は四月八日、河北省政府主席馮治安に対し、
犯人の逮捕、・・・、以上四項目を要求した。
彼は、これに対してなんらの回答もしてこない。
そのうち五月三日、落垈 (ラオファー) の同一地点で、
またもや八間隔の切断事件が報告されてきた。
・・・
39p
六月五日黎明 (れいめい)、またもや同一場所で五間隔が切断されたのである。
さすがに温厚な松井機関長も業を煮やした。
44p
南苑の第三十八師・・・。一日司令部で将校の兵棋戦術が統裁され、
団を単位とする防禦戦闘が研究題目になった。その時若い将校が一人、
席を蹴って起ち上がった。「統裁官、我々は防禦の研究はもう沢山です。
それよりもっと大切な、奇襲攻撃を指導して下さい。・・我々はすべからく、
こちらから逆九・一八を仕掛けるくらいの決意があってしかるべきです」
その意気当るべからざるものがあった。
統裁官はこれをなだめ 「意見はなるほどもっともである。
しかし今日の研究課題は防禦戦闘という事になっているのだから…‥」
「いや豊台を奇襲することは焦眉の急です。今晩もし、
日本側から奇襲を仕掛けて来たら我我はいったいどうなってしまいます」
「統裁官、私も豊台即時襲撃論に賛成です。逆九・一八をやらなくちゃだめです」
* このように、中国側では、下の方が対日戦争を要求していました。
一方、日本側は
47p
「七夕様の晩に華北で第二の柳条満車件が起る」 という謡言は、
私はじめ現地で耳にした者はない。
それがどういうものか、遥か海を越えた東京三宅坂あたりに、
ある程度の迫真力をもって伝えられていったという事実がある。
これが参謀本部の作戦部長石原莞爾少将に考えさせるものがあった。
早速陸軍省軍務局長後宮 (うしろく) 淳 (じゅん) 少将とも相談し、
軍事課の高級課員岡本清福中佐を現地に派し、
華北の情勢を仔細に検討させることになった。
出発に当って石原少将は「現地の若い連中が、何かエラく勢込んでいる風評がある。
とんでもない事だ。バカげた事件でも起すといかん。
至急現地に行って、それらの芽生えを摘み取って来てくれ」といった。
岡本中佐は華北にとんだ。そして山海関 (さんかいかん)、ラン州 、唐山、
天津等現地部隊の情況を逐次打診した。
橋本参謀長と言い池田純久経済参謀と言い、時局に対してはいたって冷静であり慎重である。
和知機関にせよ茂川機関にせよ極めて神妙であって、
軽挙妄動するような気配は微塵だにも感ぜられない。
引き続き北京を訪れた岡本中佐は、同期の木原義雄大隊長を交えて、
河辺旅団長のもとで懇談した。旅団長は語った。
「現地軍の思潮、これには何ら憂慮すべき点はない。ことに私の隷下部隊に関する限り、
厳に軽挙妄動を戒め、慎重の上にも慎重を期するよう徹底させてある。
この事は安心して内地に復命してくれ給え」》
つづく
これは メッセージ 476 (kireigotowadame さん)への返信です.