日本人記者惨殺事件1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/24 17:58 投稿番号: [452 / 2250]
児島襄著 『日中戦争3』 文春文庫
215p
《八月二十四日、
四川省の首都成都で、日本人二人が市民に惨殺されるという予想外の事件が、突発した。
事件は、日本側が一九三一年いらい閉鎖していた成都の日本総領事館を
再開しようとしたことにからんで、発起したものであった。
・・・
日本政府は、五月二十二日に外務書記生岩井英一を領事代理に任命して
成都総領事館再開のために派遣した。
216p
ところが、領事代理岩井英一が上海に到着した七月二十七日、国民政府外交部
国際司長呉頌皋は、「各国領事の成都駐在は認め難い」 と言明した。
三日後、七月三十日、外交部は上海にいる亜州司長高宗武あてに成都総領事館の
再開は不承認である旨を通報し、駐支大使川越茂につたえさせた。
川越大使は、しかし、かねて四川省政府主席劉湘が反蒋介石派といわれていることもあって、
あるいは現地は別の反応を示すかもしれぬと思い、領事代理岩井英一に指示した。
「兎ニ角、行ケ」
上海から成都に行くには、重慶まで揚子江を船でのぼり、
重慶から飛行機を利用するのが、一般的な方法である。
岩井領事代理も、このコースをえらび、八月一日、上海を出発した。
この岩井領事代理の出発にあわせて、重慶、成都の各新聞、とくに 『新蜀報』
『人民日報』『商務日報』『済川公報』 などは、いっせいに日本総領事館の
再開と岩井領事代理の赴任に反対するキャンペーンを展開した。
217p
岩井領事代理は、八月十七日に重慶に到着した。
十七日間の船旅であったが、途中では何事もなく、岩井領事代理も有名な
三峡の風光を楽しむなど、のんびりした気分ですごした。
岩井領事代理は、重慶領事糟谷廉二と協議して、
八月二十一日に飛行機で成都にむかうことにした。
ところが、外交部川康特派員呉沢湘は、岩井領事代理の赴任を阻止する態度を示した。
もし総領事館開館のために成都に行くのであれば、「護照」(通行証) は発給しない。
私人の資格でなら差しつかえないが、その場含も、岩井領事代理が開館事務をとったら
責任をもって召還することを、糟谷領事が文書で保証してもらいたい
―
と、いう。
こころみに、中国航空公司で成都行の航空券を買おうとすると、すでに
「官憲ノ指示」 をうけているとみえ、空席があるにもかかわらず、発売しない。
218p
岩井領事代理は、とりあえず成都行をあきらめ、東京に事情を打電して、訓令を待つことにした。
つづく
これは メッセージ 451 (kireigotowadame さん)への返信です.
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