第一次南京事件2 外国人の被害
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/03/04 18:36 投稿番号: [364 / 2250]
児島襄著 『日中戦争1』 文春文庫66〜67p
《近くの 「金陵大学」 では、それとわかる掠奪暴行の騒音がつづいているし、
警備のためという中国兵五人は、なんとなく 「物色スル」 風情で館内をぶらつき、
ときにギロリと日本人をにらむ。
武器を完全に奪われている日本側としては、わずか五人の武装兵でも〝強敵〟である。
やがて中国人使用人が帰ってきて、街から 「支那マンジュウ及茶」 を買い求め、
一同はひと息つく心境になった。
聞けば、英米両領事館をはじめ教会、学校、商店、住居など外国人の占有場所は
軒なみに襲撃されたが、中国人については住居も個人も被害は皆無だ、という。
まさしく 「純然タル組織的排外暴動」 だ、と領事たちは理解し、歯がみすると
同時に、そうであればより一層の襲撃も予想されるので、恐怖心が刺戟された。
森岡領事は、暴兵たちが 「日本帝国主義打倒」 と叫んでいたのを思いだして、
日英がとくにねらわれたらしいが英国領事館はどうか、と使用人にたずねた。
「惨状甚シ。領事以下鏖殺 (おうさつ) セラレタルモノノ如シ」
実際には、英領事館は午前九時すぎから襲われ、医師と港務長が射殺され、
軍艦 『エメラルド』 から派遣されたスペア大尉が右腕、左脚に負傷した。
しかし、領事ジャイルスは、左脚に銃創をうけたうえ、暴兵に青龍刀で斬首される
寸前に中国人将校の制止で救助されている。
米国領事館では、いち早く館員および在留米国人を 「金陵大学」 に避難させていた。
しかし、市内の米人系学校、会社、事務所など無人の建物は、
かえって思いのままに荒らされ、十戸に放火された。
「金陵大学」 でも、副学長 J・ウイリアムスが射殺され、米国人男女は構内を逃げまどった。
のちに女流文学者として知られるパール・バックは、夫である宣教師 J・バックと
ともに友人の中国人女性の小屋にかくれていたが、そのときの想いを次のように記述している。
「まるで暴風が吹き荒れているようであった……そして、
私は自分が蒔きもしない種を刈り取らされている形であった……
私たちはただ自分たちが白人だというだけでかくれねばならなかった……」》
『もう一つの南京事件・日本人遭難者の記録』 田中秀雄編集・解説 芙蓉書房
41p
《さらに欧米人に対して行われた暴虐もまったく同様の手段であった。
英米領事館を始め、欧米人の住宅、店舗が遺憾なきまでに荒らされたのはもとより、
各学校にある欧米人までが一々物色して危害を加えられた。
中にも金陵大学副校長イー・ゼー・ウイリアム博士と、
震旦大学の仏人教師二名は暴兵のために惨殺され、
その中の一人は頭髪から髭、陰毛までも焼かれた上、
大腿部を切断され街頭に遺棄されていた。
このほかに重傷を受けまたは衣服を剥がされたものは数うるにいとまないほどである。
殊に婦人にして凌辱を受けたものも少なからずと言うが、
これらの事実に徴しても、いかに計画的に行われたかが分ると思う。》
註 : 鏖殺 オウサツ 皆殺しのこと
つづく
《近くの 「金陵大学」 では、それとわかる掠奪暴行の騒音がつづいているし、
警備のためという中国兵五人は、なんとなく 「物色スル」 風情で館内をぶらつき、
ときにギロリと日本人をにらむ。
武器を完全に奪われている日本側としては、わずか五人の武装兵でも〝強敵〟である。
やがて中国人使用人が帰ってきて、街から 「支那マンジュウ及茶」 を買い求め、
一同はひと息つく心境になった。
聞けば、英米両領事館をはじめ教会、学校、商店、住居など外国人の占有場所は
軒なみに襲撃されたが、中国人については住居も個人も被害は皆無だ、という。
まさしく 「純然タル組織的排外暴動」 だ、と領事たちは理解し、歯がみすると
同時に、そうであればより一層の襲撃も予想されるので、恐怖心が刺戟された。
森岡領事は、暴兵たちが 「日本帝国主義打倒」 と叫んでいたのを思いだして、
日英がとくにねらわれたらしいが英国領事館はどうか、と使用人にたずねた。
「惨状甚シ。領事以下鏖殺 (おうさつ) セラレタルモノノ如シ」
実際には、英領事館は午前九時すぎから襲われ、医師と港務長が射殺され、
軍艦 『エメラルド』 から派遣されたスペア大尉が右腕、左脚に負傷した。
しかし、領事ジャイルスは、左脚に銃創をうけたうえ、暴兵に青龍刀で斬首される
寸前に中国人将校の制止で救助されている。
米国領事館では、いち早く館員および在留米国人を 「金陵大学」 に避難させていた。
しかし、市内の米人系学校、会社、事務所など無人の建物は、
かえって思いのままに荒らされ、十戸に放火された。
「金陵大学」 でも、副学長 J・ウイリアムスが射殺され、米国人男女は構内を逃げまどった。
のちに女流文学者として知られるパール・バックは、夫である宣教師 J・バックと
ともに友人の中国人女性の小屋にかくれていたが、そのときの想いを次のように記述している。
「まるで暴風が吹き荒れているようであった……そして、
私は自分が蒔きもしない種を刈り取らされている形であった……
私たちはただ自分たちが白人だというだけでかくれねばならなかった……」》
『もう一つの南京事件・日本人遭難者の記録』 田中秀雄編集・解説 芙蓉書房
41p
《さらに欧米人に対して行われた暴虐もまったく同様の手段であった。
英米領事館を始め、欧米人の住宅、店舗が遺憾なきまでに荒らされたのはもとより、
各学校にある欧米人までが一々物色して危害を加えられた。
中にも金陵大学副校長イー・ゼー・ウイリアム博士と、
震旦大学の仏人教師二名は暴兵のために惨殺され、
その中の一人は頭髪から髭、陰毛までも焼かれた上、
大腿部を切断され街頭に遺棄されていた。
このほかに重傷を受けまたは衣服を剥がされたものは数うるにいとまないほどである。
殊に婦人にして凌辱を受けたものも少なからずと言うが、
これらの事実に徴しても、いかに計画的に行われたかが分ると思う。》
註 : 鏖殺 オウサツ 皆殺しのこと
つづく
これは メッセージ 363 (kireigotowadame さん)への返信です.