ティンパーレーの情報源
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/02/17 18:45 投稿番号: [349 / 2250]
南京に行った松本氏ですら 「読むに堪えない」 と感じたほど酷い
「残虐話」 を、ティンパーレーは誰から得たのでしょうか。
それはベイツ達からです。
『328アリソン事件証言の食い違い』 の中に
松村俊夫著 『「南京虐殺」への大疑問』 167p
《『南京事件資料集①』 に、ティンパレーとベイツの間に交わされた
『戦争とは何か』 の出版をめぐる往復書簡 (352〜376頁) が掲載されている。》
とありましたように、本を書く為の情報を交換していたのです。そして、
203pには、
《三月十四日付の手紙でベイツは、ティンパレーから送られてきた原稿を
スマイスとミルズの三人で検討した結果を返答している。
この件はあわてるべきではなく、誰かが上海まで出かけていって
一緒に作業をした方がよいとし、
もし内容に間違いでもあると 「日本側に反駁の機会を与えるものであり、
全体の効果を弱める結果になる」(①360頁) とある。
・・・
203〜205p
同じ三月十四日付で、上海のティンパレーからタイプされた原稿の一部が
ベイツに送られてきた。
それによれば、第一章はまだできていないが、
第二章から第十章の結論までの構想が示されている (①365頁)。
その構成を見ると、ここで参考としている
『外国人の見た日本軍の暴行』 とは若干異なっているが、
第六・七章に南京以外の事件を扱うこと、第八章に
「今日にいたるまでの南京空襲に関する新聞報道と目撃談を厳選するつもり」 とある。
この記事が、完成した本の 「第五章 華北の恐怖」 のなかにある
石炭を知らぬ日本兵の話 (同書57頁)、
「第六章 暗黒に鎖された城市」(同書69頁) のなかの、略奪品を持って上海に
引き揚げる日本兵の話などとしてそれぞれ入っているのである。
その他もこれに似て、およそ日本人なら想像もつかない目撃談というものが続く。
日本軍は前掲の各都市を始め、いつでもどこでも虐殺、略奪、
強姦を働く集団として、目撃者や体験者の話が文字通り腐るほどある。
・・・
三月二十八日、ティンパレーからベイツへの最後の手紙に、次のような一節がある。
〈なぜ私が上海、松江、嘉興を放っておくのかとのお尋ねですが、
七章を読んでいただければ分かるかと思います。
この点を調べていくと、上海付近の民衆に対する日本軍の暴行については、
確実な証拠がほとんど見つかりません。〉(①374頁)
・・・
華北その他について、アメリカ人の牧師や神父に話を伝えたのは支那側の人物
だったと思うが、彼らはその話をストレートに信じてティンパレーに伝え、
ティンパレーもそれをそのまま検証もせず本にしたことがよくわかる。》
* というわけで、ティンパーレーは、南京のベイツ・スマイス・ミルズや華北の
神父たちから情報を得、書きかけの原稿を送ってチェックしてもらっていたのです。
また、上海に来たフィッチも原稿の材料を与えたでしょう。
註 ここではティンパーレーとティンパレーと誤記のように書いてますが、
これは著者の表現に忠実に従ったまでで誤記ではありません。
ちなみに 「ティンパーレー」 は 松本重治氏
「ティンパレー」 は 松村俊夫氏 の表現です。
「残虐話」 を、ティンパーレーは誰から得たのでしょうか。
それはベイツ達からです。
『328アリソン事件証言の食い違い』 の中に
松村俊夫著 『「南京虐殺」への大疑問』 167p
《『南京事件資料集①』 に、ティンパレーとベイツの間に交わされた
『戦争とは何か』 の出版をめぐる往復書簡 (352〜376頁) が掲載されている。》
とありましたように、本を書く為の情報を交換していたのです。そして、
203pには、
《三月十四日付の手紙でベイツは、ティンパレーから送られてきた原稿を
スマイスとミルズの三人で検討した結果を返答している。
この件はあわてるべきではなく、誰かが上海まで出かけていって
一緒に作業をした方がよいとし、
もし内容に間違いでもあると 「日本側に反駁の機会を与えるものであり、
全体の効果を弱める結果になる」(①360頁) とある。
・・・
203〜205p
同じ三月十四日付で、上海のティンパレーからタイプされた原稿の一部が
ベイツに送られてきた。
それによれば、第一章はまだできていないが、
第二章から第十章の結論までの構想が示されている (①365頁)。
その構成を見ると、ここで参考としている
『外国人の見た日本軍の暴行』 とは若干異なっているが、
第六・七章に南京以外の事件を扱うこと、第八章に
「今日にいたるまでの南京空襲に関する新聞報道と目撃談を厳選するつもり」 とある。
この記事が、完成した本の 「第五章 華北の恐怖」 のなかにある
石炭を知らぬ日本兵の話 (同書57頁)、
「第六章 暗黒に鎖された城市」(同書69頁) のなかの、略奪品を持って上海に
引き揚げる日本兵の話などとしてそれぞれ入っているのである。
その他もこれに似て、およそ日本人なら想像もつかない目撃談というものが続く。
日本軍は前掲の各都市を始め、いつでもどこでも虐殺、略奪、
強姦を働く集団として、目撃者や体験者の話が文字通り腐るほどある。
・・・
三月二十八日、ティンパレーからベイツへの最後の手紙に、次のような一節がある。
〈なぜ私が上海、松江、嘉興を放っておくのかとのお尋ねですが、
七章を読んでいただければ分かるかと思います。
この点を調べていくと、上海付近の民衆に対する日本軍の暴行については、
確実な証拠がほとんど見つかりません。〉(①374頁)
・・・
華北その他について、アメリカ人の牧師や神父に話を伝えたのは支那側の人物
だったと思うが、彼らはその話をストレートに信じてティンパレーに伝え、
ティンパレーもそれをそのまま検証もせず本にしたことがよくわかる。》
* というわけで、ティンパーレーは、南京のベイツ・スマイス・ミルズや華北の
神父たちから情報を得、書きかけの原稿を送ってチェックしてもらっていたのです。
また、上海に来たフィッチも原稿の材料を与えたでしょう。
註 ここではティンパーレーとティンパレーと誤記のように書いてますが、
これは著者の表現に忠実に従ったまでで誤記ではありません。
ちなみに 「ティンパーレー」 は 松本重治氏
「ティンパレー」 は 松村俊夫氏 の表現です。
これは メッセージ 348 (kireigotowadame さん)への返信です.