夏淑琴事件の疑問点
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/02/06 16:12 投稿番号: [336 / 2250]
マギーが聞いた所の話が事実なら悲惨なことです。
ただ、この話には、不審な点がいくつかあります。
「1月29日のラーベの日記」 では、「マギーが八歳と四歳の少女を見つけた。
親族は十一人だったというが、残らず残忍な殺されかたをしていた。
近所の人々に救け出されるまでの十四日間、母親の亡骸のそばにいた」
となっていました。
これだけを読めば、少女の家族が殺されたのは 「1月の15日か」 と思えますが、
仔細に話をうかがうと12月13日なのですね。
少女らを発見して、どうして一カ月以上も報告しなかったのでしょうか?
死体も何もかも片づけて、一カ月も経った後から見に行っても、よく判らないでしょう。
また、ラーベの日記では、「親族は十一人」 となっているのに、case 219では
「a family 十三人のうち十一人が殺され」 と変化し、
『南京難民区の百日』 では 「十三名を殺害した」 となっています。
戦後60年過ぎての証言なら、ボケて勘違いと言う事もあるでしようが、
これは事件からそう月日の経たない時の証言です。
そして、事件は13日、場所は東南部です。ここは激戦地区です。
城門の外では戦闘があり、大砲の弾が城内に飛び込んで来ていました。
殆どの人が、安全区に避難しているのに、この家族だけ、なぜ、
そんな危険な所に留まっていたのでしょうか?
ドイツ大使館公文書綴によると、日本兵はドアを開けさせ、
いきなり「マアを拳銃で殺した」となっています。
しかしながらが、日本の陸軍歩兵は拳銃を持っていません。
将校は持っていますが、これは軍支給ではなく自前ですので、
弾薬の補給ができませんから、むやみには撃てません。
だから、非武装の市民を拳銃で撃つ、などは基本的にあり得ないのです。
次に、「この子はここに十四日間居残った。この二人の子供はふかした米を
食べて生きた。」 とありますが、南京は断水していたはずです。
おまけに、「兵士たち the soldiers は毎日この家に物を取るためやって来た」
とあります。日本兵が一番必要としたのは食糧です。
彼らは毎日、物を取りにやってきていながら、どうして米に気づかなかったのでしょうか?
ドイツ人の店など荒らされて、食糧が奪われたと、ラーベは言っていました。
二人の少女は、「シーツの下に隠れて発見されなかった」 と言いますが、
兵隊が気づかぬ筈はありません。
そんな間抜けだったら、彼らはとっくにゲリラに殺されています。
それは、いいとしても、日本兵は食糧を全部持って行くだろうし、
水も14日は持たないから 「米をふかす」 など無理では?
おまけに火を焚けば、日本兵に見つかります。
その他にも、『南京への道』・「マギーの遺言」・「来日での証言」・
「許伝音の証言」などで、証言が、それぞれ異なっています。
どれが、本当なのでしょう?
ただ、この話には、不審な点がいくつかあります。
「1月29日のラーベの日記」 では、「マギーが八歳と四歳の少女を見つけた。
親族は十一人だったというが、残らず残忍な殺されかたをしていた。
近所の人々に救け出されるまでの十四日間、母親の亡骸のそばにいた」
となっていました。
これだけを読めば、少女の家族が殺されたのは 「1月の15日か」 と思えますが、
仔細に話をうかがうと12月13日なのですね。
少女らを発見して、どうして一カ月以上も報告しなかったのでしょうか?
死体も何もかも片づけて、一カ月も経った後から見に行っても、よく判らないでしょう。
また、ラーベの日記では、「親族は十一人」 となっているのに、case 219では
「a family 十三人のうち十一人が殺され」 と変化し、
『南京難民区の百日』 では 「十三名を殺害した」 となっています。
戦後60年過ぎての証言なら、ボケて勘違いと言う事もあるでしようが、
これは事件からそう月日の経たない時の証言です。
そして、事件は13日、場所は東南部です。ここは激戦地区です。
城門の外では戦闘があり、大砲の弾が城内に飛び込んで来ていました。
殆どの人が、安全区に避難しているのに、この家族だけ、なぜ、
そんな危険な所に留まっていたのでしょうか?
ドイツ大使館公文書綴によると、日本兵はドアを開けさせ、
いきなり「マアを拳銃で殺した」となっています。
しかしながらが、日本の陸軍歩兵は拳銃を持っていません。
将校は持っていますが、これは軍支給ではなく自前ですので、
弾薬の補給ができませんから、むやみには撃てません。
だから、非武装の市民を拳銃で撃つ、などは基本的にあり得ないのです。
次に、「この子はここに十四日間居残った。この二人の子供はふかした米を
食べて生きた。」 とありますが、南京は断水していたはずです。
おまけに、「兵士たち the soldiers は毎日この家に物を取るためやって来た」
とあります。日本兵が一番必要としたのは食糧です。
彼らは毎日、物を取りにやってきていながら、どうして米に気づかなかったのでしょうか?
ドイツ人の店など荒らされて、食糧が奪われたと、ラーベは言っていました。
二人の少女は、「シーツの下に隠れて発見されなかった」 と言いますが、
兵隊が気づかぬ筈はありません。
そんな間抜けだったら、彼らはとっくにゲリラに殺されています。
それは、いいとしても、日本兵は食糧を全部持って行くだろうし、
水も14日は持たないから 「米をふかす」 など無理では?
おまけに火を焚けば、日本兵に見つかります。
その他にも、『南京への道』・「マギーの遺言」・「来日での証言」・
「許伝音の証言」などで、証言が、それぞれ異なっています。
どれが、本当なのでしょう?
これは メッセージ 335 (kireigotowadame さん)への返信です.