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1938年1月20日 長期戦に備えた大綱作成

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/02/07 18:40 投稿番号: [2230 / 2250]
戦史叢書   『支那事変   陸軍作戦1』   482p


《 戦争指導班の掘場一雄少佐は、一月二十日

「昭和十三年以降ノタメノ   戦争指導計画大綱案」   第一案を起案し

各方面関係者との調整に入った。

・・・・

この計画の方針は



「先ツ当面ノ対支   持久戦争ヲ指導シツツ   速   (すみやか)   ニ   昭和軍制ノ建設

及   国家総力ノ増強整頓ヲ   強行シテ   対   『ソ』   支ニ国戦争準備ヲ完成ス

此ノ間   『ソ』   邦ノ動向ニ対処シツツ   政戦両略ノ運用ニ依リ

速ニ対支戦争ヲ終局ニ導ク」

「本計画ノ期間ハ   昭和十三年ヨリ   同十六年ニ亙ル   概   (おおむ)   ネ

四年間ト予定ス

爾後近キ将来ニ予想スヘキ   国際情勢ノ一大転機ニ   備フル為ノ戦争準備ハ

右ニ引続キ   之カ完成ヲ期ス」



というものであるが、その具体策となると実行の可能性に問題が多く、

各案とも成案とならなかったが、

長期持久戦について、各部局の注意を喚起するものがあった。

・・・・

次いで一月二十日、陸軍大臣名により



「形而上下ノ万般ニ亙リ   長期持久戦ノ準備ト   対策トヲ要スルノ秋

全軍将兵一致結束   特ニ   堅忍持久ノ精神ヲ以テ   職分ニ最善ノ努力ヲ

傾注スヘシ」


という訓示が全軍に出され、長期戦に臨む将兵の心構えを説いた。》



*   中国大使はこの日、横浜を出帆し帰国した。



戦史叢書   『支那事変   陸軍作戦1』   479p


《 日支両国の国交は事実上断絶した。

日本政府は、一月十八日、川越大使に帰朝命令を発し、

(二十八日上海発、三十一日東京着)、

許世英駐日大使は、一月二十日、横浜を出帆して上海に向かい、日本を退去した。



注   駐日大使館参事官揚雲竹以下一部の館員は昭和十三年六月十一日まで在留した。

   日本側も伊藤述史公使が昭和十二年十月から翌年三月まで、

   谷正之公使が三月から同年十二月まで、

   森島守人参事官は同年三月から翌十四年七月まで上海に出張駐在し、

   対中国及び第三国との接触に当たった。》
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