1939年7月23日 日英代表、原則諒解で署名
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/12/17 18:52 投稿番号: [2122 / 2250]
この日
天津租界封鎖問題について、日英会談で原則的に話がつきました。
〔昭和14年7月23日
東京朝日〕
世界環視の
裡(うら)
に一時は難航を伝えられたさしもの有田・クレーギー会談も、
二十一日の第三次会談に到って形勢一変、
ついに英国側の譲歩によって日英両国代表間に
今次天津問題の背景をなす一般問題に関し原則的諒解が成立し、
二十二日
続開された第四次会談においては国内手続きを終了して、
両国政府の形式的確認を持ち寄るのみとなった。
よって帝国政府は二十二日午前九時五分より臨時閣議を開いて、
二十一日の第三次会談において有田外相とクレーギー大使の間に成立した諒解事項を討議、
これを正式決定し、平沼首相より上奏御裁可を仰ぎ、我が方の国内手続きは全く完了した。
一方クレーギー大使は第三次会談が終了するや、
直ちに本国政府に対し最終的訓令を仰ぎ、ひたすら回訓の到着を待っていたが、
二十二日午後九時に到って待望の訓令が英国大使館に到着、
十時半、その翻訳を終えたので、日英間に第四次会談の開始時間を打ち合わせ、
午後十一時五分より外相官邸に有田・クレーギー第四次会談を開始、
天津問題の背景をなす一般諸問題に関し
日英両国に円満成立した諒解事項の正式の覚書を交換し、右諒解事項の確認をなした上、
有田外相並びにクレーギー大使は覚書に署名をなして、
ここに内外の視聴を集めた有田・クレーギー会談は円満妥結を見、
同十一時五十分終了した。
しかして日英両国政府が確認した諒解事項の内容に関しては、
日英両国代表の協議によって発表形式を帝国政府声明並びに英国政府声明と決定、
東京並びにロンドンに於いて二十四日午後十時
(ロンドンは同日午後三時)、
同時声明の形式を以って発表することとなった。
覚書全文
二十二日午後十二時、
外相官邸において有田外相・クレーギー駐日英大使間で署名を了した覚書全文、左のごとし。
英国政府は大規模なる戦闘行為の行われている支那における現実の事態を確認し、
かつ右事態が存続する限り支那における日本軍がその安全を確保し、
かつ治安を維持するため特殊の要求を有することを認め、また日本軍を害し、
または支那側を利するがごとき行為を排除するの要あることを認識す。
英国政府は日本軍が如上の目的を達成するに当り、
これが妨害となるべきいっさいの行為及び措置を排除し、
かつ在支英国官憲及び英国国民にこれを明示し、右政策を確認せしむべし。
(以下略)
これは メッセージ 2099 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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