1939年7月13日 日英会談の準備
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/12/07 18:58 投稿番号: [2097 / 2250]
英国は、天津の英国租界を日本軍に封鎖されたことにより、
日本政府に交渉を持ちかけました。
そこで、日英会談が始まります。
次の新聞記事は、その対策の話です。
〔昭和14年7月14日
東京日日(夕刊)〕
《 東京日英会談に対処する帝国政府の最高方針を決定すべき緊急臨時閣議は、
十三日午前九時五分より午後零時十分まで首相官邸に開催され、
平沼首相、近衛無任所相ほか全閣僚出席、慎重討議を重ねた結果、
去る十一日の首、陸、外三相会議で決定せる
「日英交渉要領大綱案」
を承認して
確固不動の対英方針に関する廟議を決定し、いよいよ挙国一致、会談に臨むこととなった。
同日の閣議は劈頭 (へきとう)、平沼首相より日英会談の重要性に鑑み
特に臨時閣議開催の趣旨を説明、次いで有田外相より
「日英交渉要領大綱案」
を二十分余にわたり説明があり、
板垣陸相から右大綱案に関連する軍関係事項につき補足的説明があって後、
討議に入り、近衛無任所相を除く各閣僚から種々真摯
(しんし)
かつ真剣なる意見の開陳及び質問等が行われ、有田外相これに答弁し、
最後に平沼首相が交渉要領大綱の決定を宣言して閣議を終わった。
しかして交渉要綱の重点は屡
(る)
報のごとく、
英国の援蒋政策の抛棄
(ほうき)
並びに新秩序建設の妨害排除を要求、
これに対するなんらかの諒解を確保するにあり、
これが具現を見た上、
天津租界の局地的諸要求条項の交渉を開始するとの方針が堅持されているから、
英国極東政策の基幹に触れて会談は展開されるものと見られ、
会談の成否はわが今後の外交国策運用上重要影響があり、
内外の視聴を蒐
(あつ)
めている。
しかして有田外相は閣議終了後、参議会に臨み廟議決定のわが方針を報告した。》
つづく
これは メッセージ 2060 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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