1939年5月13日 ノモンハンってどこだ?
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/22 18:45 投稿番号: [1997 / 2250]
辻正信著
「ノモンハン秘史」
毎日ワンズ
94〜96p
《 シナ戦線では、砲煙弾雨に呻吟
(しんぎん)
する住民がさぞかし多かろうに、
ここ満州の地では国境の風雲を他所
(よそ)
に、老百姓は太平の我が世を謳歌していた。
昭和十四年五月半ばの十三日、昼過ぎの暖かい太陽を背に受けて、
作戦室の地図に向かいながらも、ウツラウツラと睡魔に襲われていたとき、
電報班長が慌しく軍機電報をもたらした。
関東軍司令官宛
第二十三師団長
一、昨十二日朝来、外蒙軍約七百はノモンハン西方地区に於てハルハ河を渡河、
不法越境し来り十三日朝来、満軍の一部と交戦中、尚後方より増援あるものの如し。
二、防衛司令官は師団の一部
(捜索隊長の指揮する捜索隊主力及歩兵大隊長の指揮する二中隊基幹)
及
在ハイラル満軍の全力を以てこの敵を撃滅せんとす。
之が為在ハイラル軍用自動車の全部及ハイラル徴発自動車を使用す。
従ってハイラルには今後軍用に使用し得べき自動車皆無となる。
三、爾後の増兵を考慮し、少くも百台の自動車を急派せしめられ度。
尚将来の自動車増派を考慮せられ度。
又防衛司令官の使用に供し得る如く偵察飛行機をハイラルに急派
待機せしめられ度。
尚在ハイラル戦闘隊を一時防衛司令官の指揮下に人らしめられ度。
戦場付近に集め得る満軍の兵力は最大限約三百名なり。
幕僚中誰一人ノモンハンの地名を知っている者はない。
眼を皿のようにし、拡大鏡を以て、ハイラル南方外蒙との境界付近で、
ようやくノモンハンの地名を探し出した。恐らく蒙古民族の放牧の集落であろう。
ハルハ河畔の砂漠の一隅に、拡大鏡で探し出したこの地点が、
世界を震撼させた戦場になろうとは誰が想像し得よう。
国境紛争処理要綱を示してから、まさしく一カ月の後に、
あの通りに実行しようとする小松原師団長の決意が報告されたのであった。
五月の陽気に催された睡気は、この電報で吹き飛ばされた。
事件は単に、外蒙騎兵が、馬に水を飲ますためハルハ河を渡って、
劣弱な満軍
(内蒙騎兵)
をからかったのだろうか。
それともモスクワの指令を受けた偵察戦かは、わからない。》
つづく
これは メッセージ 1988 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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