城内及び安全区の掃蕩
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/10/01 18:50 投稿番号: [196 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』 231p
城内の掃蕩を担任する各部隊は、緊張していた。
第十軍司令官柳川平助中将は、既述したように、必要があれば 「城内ヲ焼却」 しても
よいと下令し、また 「特ニ 敗敵ノ 欺賄行為ニ 乗ゼラレザル ヲ要ス」と指示した。
各部隊とも、「焼却」 戦が必要とは考えなかったが、中国側の 「欺瞞行為」 には
神経をとがらせざるを得ない。
これまでにも、中国側は、軍服をぬいで便衣で戦い、ときには老婆に変装して日本軍を
おそうほか、現実に婦女子も武器をとって戦うことは、どの部隊も体験ずみだからである。
おかげで、各部隊は、いずれも 「敵愾 (てきがい) 心ト恐怖心」 に身をこわばらせていた。
「日本軍は、いつどこから飛んでくるかわからない手榴弾や小銃弾に
極度に緊張しながら、徹底的に掃蕩した」
と、第四十七連隊戦記 『郷土部隊奮戦史』 も記述している。
掃蕩は、だから、まさに 「徹底的」 となり、いずれは軍政機関、宿舎用に
利用するビル、民家はしらみつぶしに捜索され、消防員、警察官など制服着用者は
すかさず連行され、走りだす者、逃げだす者は、とっさに銃撃の対象になった。
青壮年男性は、例外なくチェックされ、肩に銃をかついだり
背嚢をせおった形跡をのこす者は、捕虜にされた。
233〜234p
委員会は・・・「南京日本軍司令官」 あてに 「安全区」 の保護を要請する書簡を用意した。
その書簡をもって、J・マギー牧師らが第二十三連隊第三大隊をむかえたのである。
マギー牧師たちが会った日本軍将校は、牧師によれば、
説明する趣旨に諒解の意を表明した、という。
− だが、
現実には、日本軍にとっては、掃蕩戦のさなかである。
日本軍の推計では、南京城内にはなお 「約二万五千人」 の敗残兵がいる。
掃蕩そのものも決して無抵抗ではなく、しばしば各部隊は攻撃、狙撃をうけている。
この〝敗残兵狩り〟を完了しなくては、名実ともに 「南京攻略」 が成就したとはいえない。
とりわけて注意すべきは、攻略にともなって実施される入城式である。
入城式には、皇族である上海派遣軍司令官朝香宮鳩彦中将も参加する。
その身辺にはとくに入念に安全保障策が講じられねばならない……。
その意味では、「安全区」 といえども〝敗残兵狩り〟から除外するわけにはいかず、
委員会書記L・スミス (金陵大学教授) によれば、この日、日本軍将校が
「安全区」 を訪ね、法務部に収容されている二千六百五十人のうち、
二千三百人を 「捕虜」 として、連行した。
東中野修道著 『南京大虐殺の徹底検証』 173〜174p
そもそも安全地帯とは、非戦闘員の市民のための避難地帯であった。
そこに、便衣(普段着)の身なりの正規兵が身を潜めていた。
・・・
彼らは、後に述べるように、莫大な量の銃砲を隠し持っていた。
その武器をもって、いつ何時、支那兵が攻撃をもくろむか、計り知れなかった。
スティール記者が言うように
「市内にはまだ潜伏して狙撃してくる中国兵」 がいたのである。
『南京戦史』 によれば、実際、十二月十四日のことになるが、
戦車中隊が中山路の十字路で戦車から下車して付近の講堂に入ったところ、
敗残兵数十名から銃撃されて、日本兵が大急ぎで乗車して難を免れたことがあった。
掃蕩中に敗残兵から射撃されたこともあったのである。
日本軍としては安心できなかった。
城内の掃蕩を担任する各部隊は、緊張していた。
第十軍司令官柳川平助中将は、既述したように、必要があれば 「城内ヲ焼却」 しても
よいと下令し、また 「特ニ 敗敵ノ 欺賄行為ニ 乗ゼラレザル ヲ要ス」と指示した。
各部隊とも、「焼却」 戦が必要とは考えなかったが、中国側の 「欺瞞行為」 には
神経をとがらせざるを得ない。
これまでにも、中国側は、軍服をぬいで便衣で戦い、ときには老婆に変装して日本軍を
おそうほか、現実に婦女子も武器をとって戦うことは、どの部隊も体験ずみだからである。
おかげで、各部隊は、いずれも 「敵愾 (てきがい) 心ト恐怖心」 に身をこわばらせていた。
「日本軍は、いつどこから飛んでくるかわからない手榴弾や小銃弾に
極度に緊張しながら、徹底的に掃蕩した」
と、第四十七連隊戦記 『郷土部隊奮戦史』 も記述している。
掃蕩は、だから、まさに 「徹底的」 となり、いずれは軍政機関、宿舎用に
利用するビル、民家はしらみつぶしに捜索され、消防員、警察官など制服着用者は
すかさず連行され、走りだす者、逃げだす者は、とっさに銃撃の対象になった。
青壮年男性は、例外なくチェックされ、肩に銃をかついだり
背嚢をせおった形跡をのこす者は、捕虜にされた。
233〜234p
委員会は・・・「南京日本軍司令官」 あてに 「安全区」 の保護を要請する書簡を用意した。
その書簡をもって、J・マギー牧師らが第二十三連隊第三大隊をむかえたのである。
マギー牧師たちが会った日本軍将校は、牧師によれば、
説明する趣旨に諒解の意を表明した、という。
− だが、
現実には、日本軍にとっては、掃蕩戦のさなかである。
日本軍の推計では、南京城内にはなお 「約二万五千人」 の敗残兵がいる。
掃蕩そのものも決して無抵抗ではなく、しばしば各部隊は攻撃、狙撃をうけている。
この〝敗残兵狩り〟を完了しなくては、名実ともに 「南京攻略」 が成就したとはいえない。
とりわけて注意すべきは、攻略にともなって実施される入城式である。
入城式には、皇族である上海派遣軍司令官朝香宮鳩彦中将も参加する。
その身辺にはとくに入念に安全保障策が講じられねばならない……。
その意味では、「安全区」 といえども〝敗残兵狩り〟から除外するわけにはいかず、
委員会書記L・スミス (金陵大学教授) によれば、この日、日本軍将校が
「安全区」 を訪ね、法務部に収容されている二千六百五十人のうち、
二千三百人を 「捕虜」 として、連行した。
東中野修道著 『南京大虐殺の徹底検証』 173〜174p
そもそも安全地帯とは、非戦闘員の市民のための避難地帯であった。
そこに、便衣(普段着)の身なりの正規兵が身を潜めていた。
・・・
彼らは、後に述べるように、莫大な量の銃砲を隠し持っていた。
その武器をもって、いつ何時、支那兵が攻撃をもくろむか、計り知れなかった。
スティール記者が言うように
「市内にはまだ潜伏して狙撃してくる中国兵」 がいたのである。
『南京戦史』 によれば、実際、十二月十四日のことになるが、
戦車中隊が中山路の十字路で戦車から下車して付近の講堂に入ったところ、
敗残兵数十名から銃撃されて、日本兵が大急ぎで乗車して難を免れたことがあった。
掃蕩中に敗残兵から射撃されたこともあったのである。
日本軍としては安心できなかった。
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