掃蕩 (そうとう) 区域の割り当て
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/09/18 18:39 投稿番号: [182 / 2250]
東中野修道著 『南京大虐殺の徹底検証』 174p
南京城攻略要領に基づき掃蕩戦に入る
支那兵が市民の中に潜伏していなければ、
これほど、城内の掃蕩は問題とはならなかったであろう。
日本軍は十二月七日発令の 「南京城攻略要領」 に基づき、直ちに、掃蕩戦に入った。
「掃蕩」 とは、東京裁判でウエッブ裁判長も言うように、
「敵を蹴散らす、あるいは追払う」 ことであった。
『国際検察局尋問調書』 第五十巻の 「南京事件」 Nanking Incident にもあるように、
「掃蕩」 は英語の drive out ないしは drive away に相当する。
これは敵を 「追い払う」 軍事行動なのである。
177〜178p
作戦地域の指定と責任の明確化
掃蕩区域が次のように割りあてられた。
①
獅子山砲台を含む城内東北部(中山東路以北)
第十六師団麾下 (きか) の歩兵第三十旅団の第三十三連隊
(野田部隊) と第三十八連隊 (助川部隊) が担当。
②
光華門から西の漢西門まで
第九師団麾下の歩兵第十八旅団の歩兵第十九連隊 (人見部隊) が担当。
③
中山門から中山東路へと東に向う地域 (中山東路以南、中正路以東)
第九師団麾下の第六旅団の歩兵第三十五連隊 (富士井部隊) が担当。
④
北部 (中山路以西、漢中路以北の地域)
第九師団麾下の歩兵第六旅団の歩兵第七連隊 (伊佐部隊) が担当。
なお、中華門 (南門) 周辺と城内東部は初めから問題外であった。
中華門周辺の掃蕩は、支那軍が早くから安全地帯や北門 (ユウ江門 ) へ向けて
撤退していたから、不要であった。
城内東部は、第十軍参謀の山崎正男少佐の陣中日記にもあるように、
「南京城東部ハ広漠タル空地」 であった。
また、第十六師団後方参謀の木佐木久少佐の陣中日記にもあるように、
「城内ノ南半部ハ市街地ナルモ、北半部、及ビ西半部ハ尚 (なお) 畑地アリ」
という状況であった。東部は支那兵の潜伏可能な地理的状況ではなかった。
そこで、掃蕩戦が展開されなかったのである。
これは メッセージ 181 (kireigotowadame さん)への返信です.
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