12月13日のラーベの日記1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/09/17 18:57 投稿番号: [181 / 2250]
十二月十三日
日本軍は昨夜、いくつかの城門を占領したが、まだ内部には踏み込んでいない。
本部に着くとすぐ、我々はたちどころに国際赤十字協会をつくりあげ、
私が役員として加わった。ここしばらくこの件を担当していた盟友マギーが会長だ。
委員会のメンバー三人で野戦病院に行く。それぞれ外交部・軍政部・鉄道部のなかに
つくられていた。行ってみてその悲惨な状態がよくわかった。
砲撃が激しくなったときに医者も看護人も患者をほうりだして逃げてしまったのだ。
我々はその人たちを大ぜい呼び戻した。
急ごしらえの大きな赤十字の旗が外交部内の病院の上にはためくのを見て、
みな再び勇気をとりもどした。
外交部にいく道ばたには、死体やけが人がいっしょくたになって横たわっている。
庭園はまるで中山路なみだ。一面、投げ捨てられた軍服や武器で覆われている。
入り口には手押し車があり、原形をとどめていない塊が乗っていた。
見たところ遺体にみえたが、ふいに足が動いた。まだ生きているのだ。
我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。
手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでしまう。
上海路へと曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。
ふと前方を見ると、ちょうど日本軍がむこうからやってくるところだった。
なかにドイツ語を話す軍医がいて、我々に、日本人司令官は二日後にくるといった。
日本軍は北へむかうので、われわれはあわててまわれ右をして追い越して、
中国軍の三部隊をみつけて武装解除し、助けることができた。全部で六百人。
武器を投げ捨てよとの命令にすぐには従おうとしない兵士もいたが、日本軍が進入して
くるのをみて決心した。我々は、これらの人々を外交部と最高法院へ収容した。
私ともう一人の仲間はそのまま車に乗っていき、鉄道部のあたりでもう一部隊、
四百人の中国軍部隊に出くわした。同じく武器を捨てるように指示した。
どこからかいきなり弾が飛んできた。音が聞こえたが、どこから撃っているのかわからない。
やがて一人の中国人将校が馬に乗ってカービン銃をふりまわしているのを見つけた。
おそらく我々がしたことが納得できなかったのだろう。たしかに彼の立場からすれば、
無理ないのだろうが、こっちとしてもほかにどうすることもできなかったのだ!
ここで、安全区の境で、市街戦が始まりでもしたら、逃げている中国軍が、
安全区に戻ってくるのは火を見るより明らかだ。
そうなったら安全区は非武装地帯ではなくなり、壊滅とまではいかなくても
徹底的に攻撃されてしまうことになる。
我々はまだ希望を持っていた。完全に武装解除していれば、捕虜にはなるかもしれないが、
それ以上の危険はないだろう、と。我々に銃口を向けた将校がそれからどうなったか知らない。
ただ、仲間のハッツが彼からカービン銃を奪うのを見届けただけだ。
本部に戻ると、入り口にすごい人だかりがしていた。
留守の間に中国兵が大ぜいおしかけていたのだ。
揚子江をわたって逃げようとして、逃げ遅れたのにちがいない。
我々に武器を渡したあと、かれらは安全区のどこかに姿を消した。
シュペアリングは非常に厳しい固い表情で正面玄関にたち、モーゼル拳銃を手に、
といっても弾は入っていなかったが、武器をきれいに積み上げさせ、ひとつひとつ数えさせていた。
あとで日本軍にひき渡さなければならない。
町を見まわってはじめて被害の大きさがよくわかった。
百から二百メートルおきに死体が転がっている。
調べてみると、市民の死体は背中を射たれていた。
多分逃げようとして後ろから射たれたのだろう。
* ここまでは極端な問題はない。ただ、道路の死体や惨状は昨夜の中国兵脱走劇
による混乱で生じたもので、日本軍はまだ関与していない。
しかし、その説明がないから、ラーベの日記だけを読んだ者は、
日本軍がやったと勘違いさせられる。
「市民の死体は背中を射たれて」 これは、日本軍が来る前にできているのだから、
督戦隊のしわざ。この 「市民」 が本当の市民か、軍服を脱いで 「市民」
に化けた中国兵なのかは判らない。
日本軍は昨夜、いくつかの城門を占領したが、まだ内部には踏み込んでいない。
本部に着くとすぐ、我々はたちどころに国際赤十字協会をつくりあげ、
私が役員として加わった。ここしばらくこの件を担当していた盟友マギーが会長だ。
委員会のメンバー三人で野戦病院に行く。それぞれ外交部・軍政部・鉄道部のなかに
つくられていた。行ってみてその悲惨な状態がよくわかった。
砲撃が激しくなったときに医者も看護人も患者をほうりだして逃げてしまったのだ。
我々はその人たちを大ぜい呼び戻した。
急ごしらえの大きな赤十字の旗が外交部内の病院の上にはためくのを見て、
みな再び勇気をとりもどした。
外交部にいく道ばたには、死体やけが人がいっしょくたになって横たわっている。
庭園はまるで中山路なみだ。一面、投げ捨てられた軍服や武器で覆われている。
入り口には手押し車があり、原形をとどめていない塊が乗っていた。
見たところ遺体にみえたが、ふいに足が動いた。まだ生きているのだ。
我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。
手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでしまう。
上海路へと曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。
ふと前方を見ると、ちょうど日本軍がむこうからやってくるところだった。
なかにドイツ語を話す軍医がいて、我々に、日本人司令官は二日後にくるといった。
日本軍は北へむかうので、われわれはあわててまわれ右をして追い越して、
中国軍の三部隊をみつけて武装解除し、助けることができた。全部で六百人。
武器を投げ捨てよとの命令にすぐには従おうとしない兵士もいたが、日本軍が進入して
くるのをみて決心した。我々は、これらの人々を外交部と最高法院へ収容した。
私ともう一人の仲間はそのまま車に乗っていき、鉄道部のあたりでもう一部隊、
四百人の中国軍部隊に出くわした。同じく武器を捨てるように指示した。
どこからかいきなり弾が飛んできた。音が聞こえたが、どこから撃っているのかわからない。
やがて一人の中国人将校が馬に乗ってカービン銃をふりまわしているのを見つけた。
おそらく我々がしたことが納得できなかったのだろう。たしかに彼の立場からすれば、
無理ないのだろうが、こっちとしてもほかにどうすることもできなかったのだ!
ここで、安全区の境で、市街戦が始まりでもしたら、逃げている中国軍が、
安全区に戻ってくるのは火を見るより明らかだ。
そうなったら安全区は非武装地帯ではなくなり、壊滅とまではいかなくても
徹底的に攻撃されてしまうことになる。
我々はまだ希望を持っていた。完全に武装解除していれば、捕虜にはなるかもしれないが、
それ以上の危険はないだろう、と。我々に銃口を向けた将校がそれからどうなったか知らない。
ただ、仲間のハッツが彼からカービン銃を奪うのを見届けただけだ。
本部に戻ると、入り口にすごい人だかりがしていた。
留守の間に中国兵が大ぜいおしかけていたのだ。
揚子江をわたって逃げようとして、逃げ遅れたのにちがいない。
我々に武器を渡したあと、かれらは安全区のどこかに姿を消した。
シュペアリングは非常に厳しい固い表情で正面玄関にたち、モーゼル拳銃を手に、
といっても弾は入っていなかったが、武器をきれいに積み上げさせ、ひとつひとつ数えさせていた。
あとで日本軍にひき渡さなければならない。
町を見まわってはじめて被害の大きさがよくわかった。
百から二百メートルおきに死体が転がっている。
調べてみると、市民の死体は背中を射たれていた。
多分逃げようとして後ろから射たれたのだろう。
* ここまでは極端な問題はない。ただ、道路の死体や惨状は昨夜の中国兵脱走劇
による混乱で生じたもので、日本軍はまだ関与していない。
しかし、その説明がないから、ラーベの日記だけを読んだ者は、
日本軍がやったと勘違いさせられる。
「市民の死体は背中を射たれて」 これは、日本軍が来る前にできているのだから、
督戦隊のしわざ。この 「市民」 が本当の市民か、軍服を脱いで 「市民」
に化けた中国兵なのかは判らない。
これは メッセージ 180 (kireigotowadame さん)への返信です.