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1937年 「百人斬り」 記事 第一号

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/15 15:31 投稿番号: [1769 / 2250]
第16師団は29日常州に進出しました。

ここで、向井・野田の両将校は、カメラマン佐藤振寿氏と会い、写真をとっています。



日本軍の二将校・百人斬り競争   〔昭和12年12月1日付大阪毎日夕刊〕


《【常州にて二十九日光本特派員発】

常熟、無錫間の四十キロを六日間で破った○○部隊の快速は

これと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で破ってしまった。

神速といはうか何といはうか、仮令   (たとへ)   ようもないこの快進撃の

第一線に立つ片桐部隊に、「百人斬り競争」   を企てた青年将校が二名ある、



しかもこの競争が無錫出発の際初められたというのに、

一人はすでに五十六人を斬り、もう一人は二十五人斬りを果たしたという。

一人は富山部隊向井敏明少尉   (山口県玖珂郡神代村出身)、

もう一人は同部隊野田毅少尉   (鹿児島県肝属郡田代村出身)   である 、



この二人は無錫入城と同時に直ちに追撃戦に移った際、どちらからともなく、

「南京に着くまで百人斬りの競争をしようじゃないか」   という相談がまとまり、

銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀   「関の孫六」   を撫でれば、

野田少尉も無銘ながら先祖伝来の宝刀を誇るといった風で互いに競争するところあり、

無錫進発後向井少尉は鉄道路線北六、七キロの線を大移動しながら前進、

野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり、

いったん二人は分かれ分かれになったが、



出発の翌朝、野田少尉は無錫をさる八キロの無名部落で敵トーチカに突進し、

四名の敵を斬り伏せて先陣の名乗りをあげたが、

このことを聞いた向井少尉は奮然起って、その夜、横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み、

五十二名を斬り捨ててしまった 、

その後野田少尉は横林鎮で九名、威野関鎮で六名、

最後に廿九日常州駅で六名と合計廿五名を斬り、

向井少尉はその後常州駅付近で四名を斬り記者等   (光本、浅海、安田各本社特派員)   が

駅に行ったとき、この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかった 、両少尉は語る、



<向井少尉> この分だと南京どころか丹陽で、俺の方が百人くらい斬ることになるだろう、

   野田の負けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたった一つしかないぞ

<野田少尉> 僕等は二人とも、逃げるのは斬らないことにしています、

   僕は○官をやつているので成績があがらないが、丹陽までには大記録にしてみせる



記者らが、「この記事が新聞に出ると、お嫁さんの口が一度にどっと来ますよ」   と

水を向けると、何と八十幾人斬りの両勇士、ひげ面をほんのりと赤めて

照れること照れること百人斬り競争!/両少尉、早くも八十人 》



*   「トーチカに突進し、四名の敵を斬り伏せ」だって?


   コンクリートで固めたトーチカの機関銃相手に、日本刀で突撃ってか?

   よく、生きて、たどりつけたね。

   乃木大将の部下が、みんなこうだったら、二〇三高地は、犠牲者 0 で落とせたのに。



   向井少尉は砲兵隊の小隊長だから、大砲でやった方が早いのだけど。

   56人の敵兵は、たった一人の向井少尉に切られるまで、反撃せずに待っていたのかな?

   砲兵隊の小隊長が、本職の大砲を使わず、勝手に持ち場を離れて、

   敵陣に切り込みなどしたら、軍法会議にかけられると思うが。

   その前に機関銃で蜂の巣になって、靖国に祀られるか。


   まー、これだけバカバカしいと、軍の検閲係も、笑って通すだろうな。


つづく
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