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1938年 土肥原機関 呉佩孚工作2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/12 18:45 投稿番号: [1764 / 2250]
晴気慶胤著   『上海テロ工作76号』   毎日新聞社
19〜20p


《 呉佩孚は、大迫少将が彼の時局収拾策に全く同意したものであると受け取った。

そして大本営派遣の大迫が同意したからには、北支軍も異存はないはずだと思いこみ、

さっそく匪賊を日本軍の占領地で招撫し、軍隊の編成に着手した。



そのころ華北の匪賊なるものは、いろんなものは合して百万を超えていた。

治安確保のためには、まずこれらを一掃しなければならないので、

北支軍は農村における討匪の手をどんどん広めていった。

一方、臨時政府も機構が充実してきたので、日本軍の討匪行と相まって、

華北の治安はようやく点と線から、面にまでおよんできたのである。



匪賊の側からみれば、これは大きな圧迫であった。

折も折、呉佩孚が招撫工作をはじめたので、

匪賊どもは日本軍の討伐からまぬがれるため、渡りに舟と喜んで招撫に応じ、

数万の匪軍がたちまち呉の足もとへ帰順してきた。



呉佩孚の私兵となった匪賊どもは、われわれは新中央政府の直系軍だといばりちらし、

臨時政府などは間もなく解消するだろうと宣伝した。

このため、まだ基礎の固まらない臨時政府の内部は非常に動揺した。

将来の不安をおもんばかって、逃亡する官吏や軍警が続出するという騒ぎだった。

こうした臨時政府の動揺は、日本軍の軍政や作戦の遂行に、

直接、間接影響するところが大きく、いろんな面で支障をきたすことが少なくなかった。



立腹した北支軍は、しばしば呉佩孚に善処を要望したが、

頑迷な老軍閥はいっかな応じる色も見せず、事態はいよいよ悪化してきた。

やむなく実力行使に移った北支軍は、帰順部隊の駐屯地を実力で回復して

臨時政府の行政地域に編入し、反抗する匪賊の討伐をはじめた。

呉佩孚工作はこうして早くも絶望的な暗礁に乗り上げてしまった。》


つづく
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