入って中国人に南京事件真相議論しましょう

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

1938年 土肥原機関 呉佩孚工作1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/11 18:48 投稿番号: [1762 / 2250]
晴気慶胤著   『上海テロ工作76号』   毎日新聞社
18〜19p


《 呉佩孚は国民党の力がまだ弱かったころ、

中国の大半を一時支配した旧軍閥の巨頭であったが、

軍閥仲間の争覇戦に敗れ、十数年前に北京に引退した時代の敗残者である。

当時六十七歳だったこの老兵は、時代の推移さえも知らぬ頑迷な男だったが、

軍閥華やかなりしころの彼の声望が今でもあるとうぬぼれて、

政界への復活の機会を虎視たんたんとしてねらっていた。



土肥原中将はこうした男を、これ幸いとばかり利用しようと図ったのである。

呉佩孚は   「中央政府をつくってはどうか」   とすすめる大迫少将に対して、

次のようなことを述べた。



「事変は私が調停すれば片づくであろう。

もし天下の世論が私が調停に立つことを希望すれば調停の労をとってもよい。

しかし、調停に立つ前にそれを重慶政府に強要して受諾させることができるだけの

実力を養っておきたい。そのためには華北の匪賊を招撫したい。

私が命令すれば匪賊はすぐ集まる。匪賊を軍隊に改編して手兵とし、

彼らが支配していた土地に善政をしけば、軍、政の実力は容易に養える。

基幹となる軍隊ができたら政府をつくって行政区域を広げ、臨時政府を解消する。

蒋介石が調停をきかないときは、新政府の行政区域を重慶まで広げて、

事変を解決すればよい」



それは全く途方もない話だった。

日華事変を日華軍閥の争いのように昔ながらの眼で見た彼は、

匪賊を招撫して養った実力と軍閥当時の声望をもってすれば、

調停は容易に成功すると思ったのだった。

さすがの大迫少将も、この古色蒼然たる男の政治的手腕には、

いささかも期待をかけることができなかった。



ただ大迫少将は、新政府樹立の機運を中国の有識者層の間に醸成するため、

呉佩孚を利用したいと考えた。

つまり呉佩孚に、時局収拾のため草廬から出馬して新政府を組織すると

天下に声明させて、新政府樹立の機運をみなぎらせようと思ったのであった。



そこで呉佩孚には切に出馬を希望したが、もちろん彼を利用する下心があるため、

誇大妄想に近い老軍閥の時局収拾方策なるものに対しては、

その場では強いて反対もしなかった。

頑迷な呉佩孚に真っ向から理非を解けば、話がこじれるに決まっている。

それよりもうまく機嫌をつくろって、早く出馬させる方が得策と考えたからであった。



呉佩孚を一たん舞台に引き出してから、

後でゆっくりと彼が演じようとする芸の中で、

日本側にとって都合の悪いところをやめさせようとしたのだ。》



つづく
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)