実際にあった攪乱工作2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/09/10 18:33 投稿番号: [173 / 2250]
『ニューヨーク・タイムズ』(1938年1月4日号)
「元支那軍将校が避難民のなかに ― 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」
と題する記事は、次のように言う。以下は全訳である。
《南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留している
アメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校六名を
匿 (かくま) っていたことを発見し、心底から当惑した。 実のところ教授たちは、
この大佐を避難民キャンプで二番目に権力ある地位につけていたのである。
この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、
それから女子大の建物に住んでいて発見された。
彼らは大学の建物の中に、ライフル六丁とピストル五丁、砲台からはずした機関銃一丁に、
弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。
この元将校たちは、南京で掠奪したことと、ある晩などは避難民キャンプから
少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、
アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した。
この元将校たちは逮捕された。
戒厳令に照らして罰せられ、恐らく処刑されるであろう。》
(東中野修道著『南京大虐殺の徹底検証』275p)
『チャイナ・プレス』(1938年1月25日号)は
馬中将は安全地帯で反日撹乱行為を煽動
また、上海でアメリカ人の発行する『チャイナ・プレス』
(一九三八年一月二十五日号)も、同じことを報じている。
それによれば、十二月二十八日現在で、外国大使館や建物から、
支那軍の将校二十三名と、下士官五十四名、兵卒一四九八名が摘発された。
これは、十二月二十四日からの住民登録の結果でもあった。
つづけて『チャイナ・プレス』一月二十五日号は、
その前日公表された南京日本軍憲兵隊の報告書を引用する。
《その報告書の主張するところによれば、
彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労 (ワンシンロウ:音訳) がいた。
彼は陳弥 (チェンミイ:音訳) と名乗って、
国際避難民地帯の第四部門のグループを指揮していた。
また、前第八十八師の副師長馬跑香 (マーポーシャン:音訳) 中将や、
南京警察の高官密信喜 (ミシンシ:音訳) もいると言われている。
馬中将は安全地帯内で反日撹乱行為の煽動を続けていた、と言われる。
また、安全地帯には黄安 (ファンアン:音訳) 大尉のほか十七人が、
機関銃一丁、ライフル十七丁を持ってかくまわれ、
王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦に携わったという。》
・・・
注意すべきは、安全地帯の支那軍将兵たちは強姦の話を撒(ま) き散らしただけではなかった。
それを証明すべく、自ら 「強姦に携わった」 か、強・姦未遂に携わったことである。
そのような舞台裏を知っていたのであろう、支那人の中から、
強姦は支那軍がやったのだと証言する者が現れる。
東京裁判に提出されたマッカラムの一九三八年一月の日記は、
「支那人ノ 或ル者ハ 容易ニ掠奪・強姦及ビ 焼打等ハ 支那軍ガ ヤツタノデ、
日本軍ガ ヤツタノデハ無イト 立証スラ 致シマス」
(東中野修道著『南京大虐殺の徹底検証』276〜277p)
「元支那軍将校が避難民のなかに ― 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」
と題する記事は、次のように言う。以下は全訳である。
《南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留している
アメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校六名を
匿 (かくま) っていたことを発見し、心底から当惑した。 実のところ教授たちは、
この大佐を避難民キャンプで二番目に権力ある地位につけていたのである。
この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、
それから女子大の建物に住んでいて発見された。
彼らは大学の建物の中に、ライフル六丁とピストル五丁、砲台からはずした機関銃一丁に、
弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。
この元将校たちは、南京で掠奪したことと、ある晩などは避難民キャンプから
少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、
アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した。
この元将校たちは逮捕された。
戒厳令に照らして罰せられ、恐らく処刑されるであろう。》
(東中野修道著『南京大虐殺の徹底検証』275p)
『チャイナ・プレス』(1938年1月25日号)は
馬中将は安全地帯で反日撹乱行為を煽動
また、上海でアメリカ人の発行する『チャイナ・プレス』
(一九三八年一月二十五日号)も、同じことを報じている。
それによれば、十二月二十八日現在で、外国大使館や建物から、
支那軍の将校二十三名と、下士官五十四名、兵卒一四九八名が摘発された。
これは、十二月二十四日からの住民登録の結果でもあった。
つづけて『チャイナ・プレス』一月二十五日号は、
その前日公表された南京日本軍憲兵隊の報告書を引用する。
《その報告書の主張するところによれば、
彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労 (ワンシンロウ:音訳) がいた。
彼は陳弥 (チェンミイ:音訳) と名乗って、
国際避難民地帯の第四部門のグループを指揮していた。
また、前第八十八師の副師長馬跑香 (マーポーシャン:音訳) 中将や、
南京警察の高官密信喜 (ミシンシ:音訳) もいると言われている。
馬中将は安全地帯内で反日撹乱行為の煽動を続けていた、と言われる。
また、安全地帯には黄安 (ファンアン:音訳) 大尉のほか十七人が、
機関銃一丁、ライフル十七丁を持ってかくまわれ、
王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦に携わったという。》
・・・
注意すべきは、安全地帯の支那軍将兵たちは強姦の話を撒(ま) き散らしただけではなかった。
それを証明すべく、自ら 「強姦に携わった」 か、強・姦未遂に携わったことである。
そのような舞台裏を知っていたのであろう、支那人の中から、
強姦は支那軍がやったのだと証言する者が現れる。
東京裁判に提出されたマッカラムの一九三八年一月の日記は、
「支那人ノ 或ル者ハ 容易ニ掠奪・強姦及ビ 焼打等ハ 支那軍ガ ヤツタノデ、
日本軍ガ ヤツタノデハ無イト 立証スラ 致シマス」
(東中野修道著『南京大虐殺の徹底検証』276〜277p)
これは メッセージ 172 (kireigotowadame さん)への返信です.