1937年 松本重治氏、ジャキノ難民区へ1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/16 14:59 投稿番号: [1711 / 2250]
松本重治著
『上海時代(下)』
中公新書
237p
《 塚本大尉以下二十名の兵が率先、陣頭に立って、
境界線に近づく歩兵部隊が難民区に入ることを抑え、
軍規を維持し得たことは、難民区の成功に少なからざる寄与をしたことになった。
十三日の朝、私は、前々日から塚本大尉と行動を共にした同僚の
殿木 (圭一) 記者から、前日の難民区の成立成功についての報告を受けた。
私が
「殿木君、何べんも両市と支社とを往復してもらってご苦労だったが、
僕自身も、難民区に行って、ジャキノ神父に
『おめでとう』
をいいたいから、
君、済まんが、いま一度、僕といっしょに行ってくれないかね」
というと、
「松本さん、ジャキノ神父の計画を知っておられるのですか。
喜んでいっしょに行きましょう。カメラマンを連れて」
という快い返事だ。
そこで、三人で、殿木君の案内で、車を走らせた。難民区は、難民が充満していた。
殿木君に
「神父はどこにいるだろう?」
と尋ねると、
「昨日会った場所はこここら辺でしたがね」
と殿木君からは少し頼りない返事だ。
「ジャキノ先生
(シンサン:上海語の発音)
に会いたいんだが」
と数人の難民を相手に押問答をやったが埒があかない。
困ったなあと思っていると、しばらくして、 「仏国人有了
(ファコニンユーラ)」
と
私らにいいながら一方を指す人が二、三人現れた。
なるほど、難民がジャキノ神父の名を知っているはずはない。
しかし、数日前にここに来ていた難民は、
フランス人が難民の世話をしていたことだけは知っているわけだった。
「仏国人
(ファコニン)
に会いたいんだ。
私たちは仏国人の朋友
(ポンユー)
なんだ」
というと、
有志が私らをジャキノ神父のいるところまで案内してくれた。
つづく
これは メッセージ 1709 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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