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1938年 張鼓峯 天皇の反対後の処置

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/10 15:51 投稿番号: [1700 / 2250]
井本熊雄著   『支那事変作戦日誌』
258〜259p


《 天皇は、明らかに実力行使を許さない御考えである。

その御意図が示された以上、実力行使は厳に禁止する如く、

徹底した処置が講ぜられるべきであった。



ところが、事実は中央の措置も現地の態度もあいまいで、後述するような

独断用兵による張鼓峯攻撃を行い、ソ軍の反撃によって思わぬ苦境に陥り、

とんだドジを踏み、大失敗をしでかすことになったのである。

現地の第十九師団では、荒尾少佐の連絡もあり、作戦課長からの示唆電も

承知し、意気込んで張鼓峯攻撃の準備を進めていた。



朝鮮軍司令部からの攻撃準備進捗度に対する照会電に対し、

師団は二十日または二十一日夜には攻撃可能の見込みと返事をした。

なお第十九師団は、張鼓峯東方八百米の高地   (自ら将軍峯と命名)   を、

将来あるべき作戦を容易ならしめるため事前に占領することを強く

意見具申するとともに、その準備を進めた。   朝鮮軍はこれが実行を抑え、

一方では大本営に対して、師団の希望認可方意見を具申したが、



その到着は右天皇の御意図が示された後であったので、参謀次長は認可されない旨返電した。

軍司令官は師団長に、不認可のため占領企図を中止するよう示した。

師団は、既に占領部隊   (歩兵一中隊位)   が行動を起していたのに対して

中止を命じ、左岸に進出していた該部隊を、

二十一日夜明けまでにやっと停止させたという一幕もあった。



しかし事実はそれと違っていて、この部隊は将軍峯を占領し、

その後本事件の結末までここにいたのが真相であったようである。》


つづく
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