1938年7月20日 張鼓峯襲撃計画、天皇叱責
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/09 15:21 投稿番号: [1698 / 2250]
井本熊雄著
『支那事変作戦日誌』
257〜258p
《 さて参謀本部は七月二十日、右記大陸命 (案) を上奏して御裁可を得ようとした。
上奏の書類には本とそれに対する説明文を付し、御前で上奏者が御説明するのが
恒例である。参謀総長の御説明案には、左記の文句が記述せられてあった。
「張鼓峯の位置は、
大兵力を集めて抗争を拡大する危険は比較的少ないと考えられますので、
寧ろこの際一撃を加えてソ聯邦の抗争意志を圧縮し置くを至当と判断致します。
……事件を局地的に処理し得ると考えている次第でありますが、
万一ソ聯邦が本事件を利用し、
故意に事態の紛糾拡大を計るような場合が起るに至りますれば、
漢口攻略開始以前ならば兵力の転用その他の諸問題には開始以後よりも
好都合であると思うのであります。……」
ところが二十日の上奏は、思いもよらぬ結末となった。
天皇は外務大臣 (宇垣一成)、 海軍大臣 (米内光政)、内大臣 (湯浅倉平) 等から、
ソ連と外交交渉する前に兵力を以てソ連兵を駆逐するが如き措置はとるべきでない、
という意見を聞かれて、そのようにお考えが決っていた模様である。
そこで、上奏させておいて不裁可では、参謀総長、陸軍大臣の立場がなくなる
だろうという配慮から、予め侍従武官から
「兵力使用の上奏ならばお許しはないので、上奏するに及ばない」 ことを伝達した。
参謀総長 (閑院宮) は一旦参内されたが、
右のような事情であるので上奏を取り止めて退出された。
然るに板垣陸軍大臣には何の間違いか、そのことが明確に伝わらなかった。
また陸軍大臣は、海軍大臣も外務大臣も実力行使に賛成であると受取っていた模様である。
五相会議および個人的相互の面接では、そのような印象を陸相が受ける発言があったり、
また軍令部が陸軍案に同意していることなどから、
陸相としては海軍、外務も同意と思ってもあながち無理からぬ経緯があった、
という当時の宮中側近の高官の見解も今日文献として残っている。
板垣陸相は、二十日ひる頃上奏した。
板垣陸相が、右の如く連絡不十分で実情を知らずに上奏のため参内したとしても、
内大臣、侍従武官長あたりから、上奏前に連絡して取止めさせる方法は
いくらでもあった筈と思われるが、その辺の経線はわからない。
上奏の内容は、兵力使用に伴う陸軍大臣としての見解および
第十九師団の動員関係であった。
天皇より陸相に対し、 「他の関係大臣の意向はどうか」 と御下問があった。
陸軍大臣は 「外務大臣も海軍大臣も同意であります」 と申上げた。
これは、いたく天皇を刺戟 (しげき) する言葉であった。
天皇が、また陸軍が自分をごまかすとお取りになったとしても無理はない。
そこで天皇は、「満州事変、支那事変の勃発共に陸軍のやり方はけしからん
というような意味」 でお叱りがあったらしい。
「当面の問題も、朕の許しなくして兵を用いることはまかりならぬ」 と
厳しい態度を示されたようである。板垣陸相は恐懼して退出し、
もう二度と御前に出ることはできないと云って辞職を決意したらしいが、
近衛首相の取りなしで事なく済んだようである。》
257〜258p
《 さて参謀本部は七月二十日、右記大陸命 (案) を上奏して御裁可を得ようとした。
上奏の書類には本とそれに対する説明文を付し、御前で上奏者が御説明するのが
恒例である。参謀総長の御説明案には、左記の文句が記述せられてあった。
「張鼓峯の位置は、
大兵力を集めて抗争を拡大する危険は比較的少ないと考えられますので、
寧ろこの際一撃を加えてソ聯邦の抗争意志を圧縮し置くを至当と判断致します。
……事件を局地的に処理し得ると考えている次第でありますが、
万一ソ聯邦が本事件を利用し、
故意に事態の紛糾拡大を計るような場合が起るに至りますれば、
漢口攻略開始以前ならば兵力の転用その他の諸問題には開始以後よりも
好都合であると思うのであります。……」
ところが二十日の上奏は、思いもよらぬ結末となった。
天皇は外務大臣 (宇垣一成)、 海軍大臣 (米内光政)、内大臣 (湯浅倉平) 等から、
ソ連と外交交渉する前に兵力を以てソ連兵を駆逐するが如き措置はとるべきでない、
という意見を聞かれて、そのようにお考えが決っていた模様である。
そこで、上奏させておいて不裁可では、参謀総長、陸軍大臣の立場がなくなる
だろうという配慮から、予め侍従武官から
「兵力使用の上奏ならばお許しはないので、上奏するに及ばない」 ことを伝達した。
参謀総長 (閑院宮) は一旦参内されたが、
右のような事情であるので上奏を取り止めて退出された。
然るに板垣陸軍大臣には何の間違いか、そのことが明確に伝わらなかった。
また陸軍大臣は、海軍大臣も外務大臣も実力行使に賛成であると受取っていた模様である。
五相会議および個人的相互の面接では、そのような印象を陸相が受ける発言があったり、
また軍令部が陸軍案に同意していることなどから、
陸相としては海軍、外務も同意と思ってもあながち無理からぬ経緯があった、
という当時の宮中側近の高官の見解も今日文献として残っている。
板垣陸相は、二十日ひる頃上奏した。
板垣陸相が、右の如く連絡不十分で実情を知らずに上奏のため参内したとしても、
内大臣、侍従武官長あたりから、上奏前に連絡して取止めさせる方法は
いくらでもあった筈と思われるが、その辺の経線はわからない。
上奏の内容は、兵力使用に伴う陸軍大臣としての見解および
第十九師団の動員関係であった。
天皇より陸相に対し、 「他の関係大臣の意向はどうか」 と御下問があった。
陸軍大臣は 「外務大臣も海軍大臣も同意であります」 と申上げた。
これは、いたく天皇を刺戟 (しげき) する言葉であった。
天皇が、また陸軍が自分をごまかすとお取りになったとしても無理はない。
そこで天皇は、「満州事変、支那事変の勃発共に陸軍のやり方はけしからん
というような意味」 でお叱りがあったらしい。
「当面の問題も、朕の許しなくして兵を用いることはまかりならぬ」 と
厳しい態度を示されたようである。板垣陸相は恐懼して退出し、
もう二度と御前に出ることはできないと云って辞職を決意したらしいが、
近衛首相の取りなしで事なく済んだようである。》
これは メッセージ 1696 (kir**gotowa**me さん)への返信です.