入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1938年7月5日 松本重治氏東京着

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/06/01 18:41 投稿番号: [1682 / 2250]
松本重治著   『上海時代・下』   中公新書
300〜302p


《 高宗武を見送ってから、彼に遅れないように、

七月五日には東京に着かなければと思って、

四日、飛行機を利用し、福岡からは汽車で、五日の四時半、東京駅に着いた。

伊藤君が駅頭に迎えに来てくれていて、

「『四郎』 (高宗武)   は一時間ほど前に横浜から築地の   『花蝶』   に着いた。

五郎もその足ですぐ来てくれ。いっしょに行こう」   という。



タクシーの中で、私が   「『花蝶』   とはどんなところだ」   と質すと、

伊藤君が   「あれは、陸軍が始終使っている料亭で、警護もやりやすいから、

影佐さんが定めたのだよ」   と答える。「花蝶」   に行くと、高君はじめ西君もいた。

やがて影佐大佐も現れて、晩餐は、みんないっしょにやるようになった。



私は前もって岩永さんに報告していたので、待っていられるのかと思って、

食事中、六時ごろ、岩永さんに、電話で高君と私の東京着を知らせた。

食事まで用意されていたらしいが、 「ここを済ませたら、すぐ参ります」

といって、電話を切った。



やっと食事が済んだので、岩永邸にタクシーを走らせた。

岩永さんは、 「松本君、いろいろご苦労だね」   と、まずいってくれた。

それから、私は、香港での高君との会談要領を報告した。



彼が東京に来た目的は、多田参謀次長その他の要路の人々、とくに近衛さん、

岩永さんとも会見し、日本側、とくに陸軍が早期和平を希望しているか

どうかを確かめ、その方法として、一月十六日の声明にかかわらず、

蒋介石との直接交渉をやる気があるかどうか、また蒋介石とやる気がないとすれば、

汪兆銘とならば話を進めるかどうかを突きとめるにある、云々と説明し、

極秘のことだが、中国側の和平運動の成否は、

日本側の撤兵声明如何によると私が信じている、と述べた。



岩永さんは、 「だいたい判ったよ。そんなところだろうね。

近衛は、内々に、一月十六日の声明を取り消す決意らしいが、

松本君、撤兵云々はなかなか容易のことではないことを君に注意しておくよ」

といわれたので、私は昨年末の南京の虐殺事件と、



日本の大使館を閉めて帰国する途上の駐日参事館揚雲竹に偶然出会ったところ、

「兵を按じて動かず」、すなわち漢口攻撃の兵を停めて和平交渉を行うことを

示唆されたことを簡単に説明して、

「このうえ、どこまでも戦争を続ければ、

日本国民は道徳的に完全に堕落してしまいますよ。

楊雲竹の   『按兵不動』   の案を、日本がこの秋、漢口攻略を前に断行して、

和平に切り換えることが必要でしょう」   といった。



岩永さんは、「例のビスマルクのやり方を俺は近衛以下に説いているのだ。

楊君のいったことを日本がやれば、俺のいってきたとおりになるのだが、

陸軍の石頭には、どうも困ったものだ。

しかし、高君にはぜひ会いたいから、君、ひとつ、アレンジしてくれ給え。

実は、高君が東京に来るというので、俺もここで部屋を一室あけて、待っていたのだよ」

「岩永さん、そこまで気をつかっていただいて、まことに済みません。

高君にも岩永さんのご好意はさっそく伝えます。きっと感激することでしょう」

といって、引き退った。》
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