1937年 ジャキノ難民区設立2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/05/24 18:36 投稿番号: [1664 / 2250]
松本重治氏著
『上海時代(下)』
中公新書
233〜234p
《 二人で地図を検
(しら)
べてみて、
「これは、地理的にみて、都合がよさそうだね。 ただ、いま一つの条件は、
中国兵が武装したままで、難民区に逃げ込むようなことがないようにすることにある。
その点、仏租界側や中国側にはっきりさせておく必要があろうね。
それがはっきりすれば、日本側も反対できぬことになるだろうからね」
と、私が即座に附言すると、ティンパーレー君は、
「ジャキノ神父は、今松本君がいったような条件について、すでに手を打っている。
神父の構想には、仏租界当局も全面的に協力を約しているから、
万一、逃げる中国将兵が、仏租界を通って北側から難民区になだれ込むような場合には、
仏租界の実力を用いて、そういう敗残兵を武装解除させる決意をもっているようだ。
ジャキノ神父は、日本側が賛成ならば、ただちに、英、米、仏等の民間有志者による
国際委員会を作ることにつき、関係者たちの内諾を得てある。国際委員会が出来て、
日本側の支持が得られれば、中国側も同意を拒否し得ないと思うんだ」
と返事する。
私は、 「 そういう話ならば、きっと成功するよ。
すぐ、大使館に行って日高さんに話をしてみよう。その首尾は君にすぐ電話しよう。
おそらく日高さんは、 『ティンパーレーにジャキノ神父と同道して大使館に来てもらい、
直接、両氏から話を聞こう』
ということになるだろう。
日高参事官は、英語のほかフランス語にも堪能な人だからね」
というと、
ティンパーレー君は、嬉しさに笑みを顔面一杯に表し、
「では、松本君からの電話を待っている」
といいつつ、
私と固い握手を交して支社を出ていった。
私は、車を飛ばして大使館に赴き、日高さんに、こうこうしかじかと話をすると、
日高さんは、 「では、ご両人に来てもらい、直接話をうかがいましょう。
よい考えだから、私もできるだけ尽力しましょう」
といってくれた。
すぐ翌日の約束の時間を打ち合せ、支社にとって返して、
私は、ティンパーレー君にその旨電話をかけた。
ちょうどジャキノ神父も同席で、両人はとても喜んでくれた。
翌日、日高さんは、ジャキノ神父とティンパーレー君から詳細の計画を聞き、
すぐ協力を約したが、彼は、南市の問題を担当していた陸軍特務部の楠本大佐と連絡して、
協力を得たうえ、松井軍司令官と長谷川司令長官とに、直接、会見して、
両首脳者の賛成を得た。
その間の日高さんの活動は、いとも鮮やかであったが、それについては、
日高さんによる「極東国際軍事裁判所宣誓供述書」
の数行を左に引用したい。》
つづく
これは メッセージ 1662 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/1664.html