12月12日 南京攻防戦
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/09/01 18:48 投稿番号: [163 / 2250]
児島襄著『日中戦争4』
《210〜211p
第二十三連隊の右の第四十七連隊第一大隊の先頭第三中隊 (三明保真大尉) が、
中華門西側城壁の前の水濠で待機していた。
・・・
水濠の幅は、この付近では約四十メートル、深さは約二メートル。
・・・
中隊長三明大尉が苦慮していると、偶然に小舟が流れてきた。
見酉公夫上等兵がハダカになって寒流にとびこみ、舟をひっぱってきた。
・・・
舟には櫓(ろ) も櫂(かい) も付属していなかった。
旗竿で舟をおしだし、そのあとを水野上等兵が泳いで竹ハシゴを対岸に渡した。
ハシゴは二本。四メートルと六メートルの長さである。
この二本をつないで城壁にたてかけ、
不安定にゆれるハシゴをまず粟津一等兵がのぼりはじめた。
中国側は手榴弾を投げ、銃撃して登壁阻止にはげみ、
粟津一等兵は右腕に貫通銃創をうけて転落した。
安東軍曹が代り、中津留伍長がつづき、二人はハシゴの長さがたりない城壁を、
壁面にはえているツタ、木の根をつかみ、
あるいはゆるんでいる煉瓦をぬいて足がかりにして、城壁上に立った。
212p
二人は、銃に日章旗を結びつけている。
・・・
中国軍は逆襲し、決死隊のうち安東軍曹、真鍋、寺山一等兵は戦死した。
江口一等兵も負傷し、中津留伍長一人が敵の機銃をうばって奮戦した。
第二小隊第一分隊長白石躬喜雄軍曹が、水濠をわたって城壁下の民家に放火し、
煙幕展張にかえた。軍曹は戦死したが、
この即席煙幕のおかげで第三中隊は続々と城壁にのぼり、拠点を確保した。
・・・
213p
第二十三連隊第三大隊も、十五センチ榴弾砲の支援をうけて城壁にせまり、
午後四時四十四分、第九中隊が、工兵が人柱でささえる仮橋をわたって西南角城壁を占領した。
・・・
第九、第十六師団方面はいぜんとして苦戦がつづき、第九師団第三十六連隊は
催涙ガス弾攻撃をうけた。
・・・
214p
第六十六連隊主力は、中華門突入をこころみたものの、
門扉を破壊できずに攻撃を中止した。
第六師団地区では、第十三連隊が奮起していた。師団の攻撃主力三個連隊のうち、
第十三連隊だけが城壁に日章旗をたてずに夜をむかえたからである。
第一大隊長十時和彦中佐は、第二中隊長松本正雄中尉に 「正子」(午前零時) を
期して中華門城壁を突破せよ、と命じた。
この夜は陰暦十一月九日。
前半夜は月があるので、月が沈んでからの攻撃を企図したのである。
目標の城壁は、第四十七連隊の右側にあたり、第二中隊は、吉住義継少尉指揮の突撃隊を
先頭にして、工兵が立ち泳ぎしながらささえる渡橋をわたり、未明に城壁を占領した。
しかし、こうして南京城の南壁は日本軍の軍靴に制圧されたが、他の囲壁は健在にみえた。
「我ガ砲兵 射撃ヲ開始セバ、敵砲兵 沈黙シ、我射撃ヲ 中止セバ、彼レ又射撃ヲ 開始セリ」
という状況がつづき、南京城攻略には、なお一日の力攻が必要だと判断された。》
ここで注目すべきは、中国軍が 「催涙ガス」 を使っていたということです。
もし日本軍が、同じ物を使ったら、「毒ガス」 使用と、毒々しく宣伝されたでしょう。
《210〜211p
第二十三連隊の右の第四十七連隊第一大隊の先頭第三中隊 (三明保真大尉) が、
中華門西側城壁の前の水濠で待機していた。
・・・
水濠の幅は、この付近では約四十メートル、深さは約二メートル。
・・・
中隊長三明大尉が苦慮していると、偶然に小舟が流れてきた。
見酉公夫上等兵がハダカになって寒流にとびこみ、舟をひっぱってきた。
・・・
舟には櫓(ろ) も櫂(かい) も付属していなかった。
旗竿で舟をおしだし、そのあとを水野上等兵が泳いで竹ハシゴを対岸に渡した。
ハシゴは二本。四メートルと六メートルの長さである。
この二本をつないで城壁にたてかけ、
不安定にゆれるハシゴをまず粟津一等兵がのぼりはじめた。
中国側は手榴弾を投げ、銃撃して登壁阻止にはげみ、
粟津一等兵は右腕に貫通銃創をうけて転落した。
安東軍曹が代り、中津留伍長がつづき、二人はハシゴの長さがたりない城壁を、
壁面にはえているツタ、木の根をつかみ、
あるいはゆるんでいる煉瓦をぬいて足がかりにして、城壁上に立った。
212p
二人は、銃に日章旗を結びつけている。
・・・
中国軍は逆襲し、決死隊のうち安東軍曹、真鍋、寺山一等兵は戦死した。
江口一等兵も負傷し、中津留伍長一人が敵の機銃をうばって奮戦した。
第二小隊第一分隊長白石躬喜雄軍曹が、水濠をわたって城壁下の民家に放火し、
煙幕展張にかえた。軍曹は戦死したが、
この即席煙幕のおかげで第三中隊は続々と城壁にのぼり、拠点を確保した。
・・・
213p
第二十三連隊第三大隊も、十五センチ榴弾砲の支援をうけて城壁にせまり、
午後四時四十四分、第九中隊が、工兵が人柱でささえる仮橋をわたって西南角城壁を占領した。
・・・
第九、第十六師団方面はいぜんとして苦戦がつづき、第九師団第三十六連隊は
催涙ガス弾攻撃をうけた。
・・・
214p
第六十六連隊主力は、中華門突入をこころみたものの、
門扉を破壊できずに攻撃を中止した。
第六師団地区では、第十三連隊が奮起していた。師団の攻撃主力三個連隊のうち、
第十三連隊だけが城壁に日章旗をたてずに夜をむかえたからである。
第一大隊長十時和彦中佐は、第二中隊長松本正雄中尉に 「正子」(午前零時) を
期して中華門城壁を突破せよ、と命じた。
この夜は陰暦十一月九日。
前半夜は月があるので、月が沈んでからの攻撃を企図したのである。
目標の城壁は、第四十七連隊の右側にあたり、第二中隊は、吉住義継少尉指揮の突撃隊を
先頭にして、工兵が立ち泳ぎしながらささえる渡橋をわたり、未明に城壁を占領した。
しかし、こうして南京城の南壁は日本軍の軍靴に制圧されたが、他の囲壁は健在にみえた。
「我ガ砲兵 射撃ヲ開始セバ、敵砲兵 沈黙シ、我射撃ヲ 中止セバ、彼レ又射撃ヲ 開始セリ」
という状況がつづき、南京城攻略には、なお一日の力攻が必要だと判断された。》
ここで注目すべきは、中国軍が 「催涙ガス」 を使っていたということです。
もし日本軍が、同じ物を使ったら、「毒ガス」 使用と、毒々しく宣伝されたでしょう。
これは メッセージ 162 (kireigotowadame さん)への返信です.