ラーベの日記 12月11日
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/08/29 16:50 投稿番号: [160 / 2250]
十二月十一日
八時
水道と電気が止まった。だが銃声は止まらない。ときおり、いくらか静まる。
次の攻撃にそなえているのだ。どうやらこれがうちの 「ペーター」 のお気に召したらしい。
さっきから声を限りに合奏している。
からす (ラーベ) よりカナリアのほうが神経が太いようだ!
爆音をものともせず、道には人があふれている。この私より 「安全区 (セーフティ・ゾーン)」 を
信頼しているのだ。ここはとっくにセーフでもなんでもないのだが。
いまだに武装した兵士たちが居すわっているのだから。いくら追い出そうとしてもむだだった。
これでは、安全区は非武装だと日本軍に知らせたくともできないじゃないか。
九時
ついに安全区に榴弾が落ちた。
福昌飯店 (ヘンペル・ホテル) の前と後ろだ。十二人の死者とおよそ十二人の負傷者。
このホテルを管理しているシュペアリングが、ガラスの破片で軽いけが。
ホテルの前にとまっていた車が二台炎上。さらにもう一発、榴弾 (こんどは中学校)。
死者十三人。
軍隊が出て行かないという苦情があとをたたない。
鼓楼病院の前に − ということは安全区側だ − 砦が築かれることになった。
だがこれを命じられた中国軍の将校は、通りの向こう側で作業するのを断ってきた。
事態を丸く収めようと、私はマギー牧師と一緒にその将校に会いに行くことにした。
山西路広場(バイエルン広場)を通りかかったとき、
広場の真ん中で兵士たちが穴を掘って隠れているのをみつけた。
角の家は軒並み兵士たちにこじ開けられている。目の前で次々とガラスや扉が壊されている。
なぜそんなことをするのだろう? だれに聞いても、わからない、という!
けが人がひっきりなしに中山路に運ばれて行く。
砂袋、引き倒した木、有刺鉄線の柵でバリケードを作っているが、
こんなもの、戦車がくればひとたまりもないだろう。
鼓楼病院の前で例の将校に砦を築くように頼んだが、相手はおだやかな物腰ながら断固拒否した。
病院から龍に電話で報告すると、さっそく唐将軍に問い合わせるとの返事。
十八時
記者会見。出席者は、報道陣のほかは委員会のメンバーのみ。
ほかの人はジャーディン社の船かアメリカの砲艦パナイで発ったのだ。
スマイスがいうには、目下名ばかりわれわれの配下にある警察が、
「こそ泥」 を捕まえ、その処分について聞いてきたという。
この件でちょっとばかり座がにぎわう。おそれ多くも裁判官までつとめることに
なるとは……。私もそこまでは考えていなかった。
われわれはまず、死刑を宣告し、恩赦により、と二十四時間の拘置にし、
留置場の不足によりやむをえず、とふたたび自由の身にしてやった。
午後八時、韓を呼び、家族をつれて寧海路五号の委員会本部に引っ越すようにいった。
あそこの防空壕のほうが安全だ。
しかもわが家は、いま日本軍から猛攻撃されている五台山のすぐそばなのだ。
私もいずれ引っ越そうかと考えている。夜は猛攻撃をうけるだろう。
それなのに韓はまだ家を出ていこうとはしない。
水道と電気が止まった。だが銃声は止まらない。ときおり、いくらか静まる。
次の攻撃にそなえているのだ。どうやらこれがうちの 「ペーター」 のお気に召したらしい。
さっきから声を限りに合奏している。
からす (ラーベ) よりカナリアのほうが神経が太いようだ!
爆音をものともせず、道には人があふれている。この私より 「安全区 (セーフティ・ゾーン)」 を
信頼しているのだ。ここはとっくにセーフでもなんでもないのだが。
いまだに武装した兵士たちが居すわっているのだから。いくら追い出そうとしてもむだだった。
これでは、安全区は非武装だと日本軍に知らせたくともできないじゃないか。
九時
ついに安全区に榴弾が落ちた。
福昌飯店 (ヘンペル・ホテル) の前と後ろだ。十二人の死者とおよそ十二人の負傷者。
このホテルを管理しているシュペアリングが、ガラスの破片で軽いけが。
ホテルの前にとまっていた車が二台炎上。さらにもう一発、榴弾 (こんどは中学校)。
死者十三人。
軍隊が出て行かないという苦情があとをたたない。
鼓楼病院の前に − ということは安全区側だ − 砦が築かれることになった。
だがこれを命じられた中国軍の将校は、通りの向こう側で作業するのを断ってきた。
事態を丸く収めようと、私はマギー牧師と一緒にその将校に会いに行くことにした。
山西路広場(バイエルン広場)を通りかかったとき、
広場の真ん中で兵士たちが穴を掘って隠れているのをみつけた。
角の家は軒並み兵士たちにこじ開けられている。目の前で次々とガラスや扉が壊されている。
なぜそんなことをするのだろう? だれに聞いても、わからない、という!
けが人がひっきりなしに中山路に運ばれて行く。
砂袋、引き倒した木、有刺鉄線の柵でバリケードを作っているが、
こんなもの、戦車がくればひとたまりもないだろう。
鼓楼病院の前で例の将校に砦を築くように頼んだが、相手はおだやかな物腰ながら断固拒否した。
病院から龍に電話で報告すると、さっそく唐将軍に問い合わせるとの返事。
十八時
記者会見。出席者は、報道陣のほかは委員会のメンバーのみ。
ほかの人はジャーディン社の船かアメリカの砲艦パナイで発ったのだ。
スマイスがいうには、目下名ばかりわれわれの配下にある警察が、
「こそ泥」 を捕まえ、その処分について聞いてきたという。
この件でちょっとばかり座がにぎわう。おそれ多くも裁判官までつとめることに
なるとは……。私もそこまでは考えていなかった。
われわれはまず、死刑を宣告し、恩赦により、と二十四時間の拘置にし、
留置場の不足によりやむをえず、とふたたび自由の身にしてやった。
午後八時、韓を呼び、家族をつれて寧海路五号の委員会本部に引っ越すようにいった。
あそこの防空壕のほうが安全だ。
しかもわが家は、いま日本軍から猛攻撃されている五台山のすぐそばなのだ。
私もいずれ引っ越そうかと考えている。夜は猛攻撃をうけるだろう。
それなのに韓はまだ家を出ていこうとはしない。
これは メッセージ 159 (kireigotowadame さん)への返信です.