5月15日 再度逆越境1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/04/21 14:29 投稿番号: [1597 / 2250]
辻正信著
「ノモンハン秘史」
毎日ワンズ
27〜29p
《 新しい酸素缶と取り換え、再び牡丹江飛行場を離陸したときは十時を過ぎていた。
「今度は大丈夫」 と、東寧上空で六千メートルに高度を取った。
・・・
地図の上に現われていない新しい自動車道が驚くほど発達している。
満領内に比べると大人と子供ほどの相違である。
道路の発達はそのまま軍事施設の強化を物語っている。
国境だけの単純なトーチカ陣地ではなく、縦深約三十キロメートルにわたり、
海綿状に深い抵抗地帯が準備されているにちがいない。
綏芬河 (すいふんが) の下流は羊腸のような屈曲を見せて、
両岸一帯は湿地帯をなしてウラジオストクに続いている。
大障碍 (だいしょうがい) を呈するようである。
この地形、この陣地を突破するのは容易ではあるまい。
移りゆく下界の様相はパノラマのように展開し、脳膜に焦げつくように映ずるうちに、
鼓 (つづみ) のような形をした大滑走路がくっきりと眼に映った。
「あッ、ウオロシロフの飛行場だッ」 と思わず叫んだ。
軍事基地ウオロシロフは、この大飛行場を中心とした近代要塞の装いを
凝 (こ) らしている。
満領内の貧弱な我が軍用飛行場とは雲泥の相違がある。
太陽に反射する大舗装飛行場を飽かず眺めていたとき、
突然トンボのように乱舞する機影を、高度四千メートル付近の空中に発見した。
おびただしい数だ。少なくも三、四十機は下るまい。
新鋭を誇るソ連戦闘機の大群が演習の真最中である。
いまにも発見されて、下から機関銃弾が撃ち出されそうに思われる。
尻がムズ痒くなった。
偵察を心ゆくまでしようと焦る心と、一刻も早く無気味な敵機から逃れようとする
本能とがからみ合って争っている。
伝声管を伝わる秋山少尉の声は落ちついている。 「一旋(ひとまわ) りしましょうか」
少尉の眼もソ連戦闘機の乱舞するさまを見逃そうはずはない。にもかかわらず
その上空を旋回しようと決心したのである。 「よーし。旋回」 と答えた。
一刻も早く逃れたい本能を抑えて旋回を要求したのは、
教え子に対する中隊長の面子 (めんつ) でもあり、
また作戦参謀としての責任感でもあった。
少尉は何喰わぬ顔をして、大きな円を描きながらウオロシロフの上空をゆっくり旋った。
飛行機の速力がこんなに遅く感ずるものか。
もう少し小さい円で一刻も早く旋回してくれたらよいが……。
しかし秋山少尉は一向に平気で悠々と旋った。
血走った眼で何物も逃さじと見つめた数分間が数日のように長く感ずる。
「まだ発見されないだろう。もし発見されたとしても敵機が六千五百メートルの
高空に飛び上がるには酸素缶が必要であろう。まさかその準備もあるまい」
との自慰の感覚が辛うじて、心の不安を抑えてくれる。
一回旋り終わったとき、少尉は後方を振り向きにっこり笑った。
「もう一度旋回しましょうか」
演習そのままの表情であった。 「いや、もう結構。北に進め」 と答えたとき、
何だか教え子に心の中を見すかされたように感じた。》
つづく
27〜29p
《 新しい酸素缶と取り換え、再び牡丹江飛行場を離陸したときは十時を過ぎていた。
「今度は大丈夫」 と、東寧上空で六千メートルに高度を取った。
・・・
地図の上に現われていない新しい自動車道が驚くほど発達している。
満領内に比べると大人と子供ほどの相違である。
道路の発達はそのまま軍事施設の強化を物語っている。
国境だけの単純なトーチカ陣地ではなく、縦深約三十キロメートルにわたり、
海綿状に深い抵抗地帯が準備されているにちがいない。
綏芬河 (すいふんが) の下流は羊腸のような屈曲を見せて、
両岸一帯は湿地帯をなしてウラジオストクに続いている。
大障碍 (だいしょうがい) を呈するようである。
この地形、この陣地を突破するのは容易ではあるまい。
移りゆく下界の様相はパノラマのように展開し、脳膜に焦げつくように映ずるうちに、
鼓 (つづみ) のような形をした大滑走路がくっきりと眼に映った。
「あッ、ウオロシロフの飛行場だッ」 と思わず叫んだ。
軍事基地ウオロシロフは、この大飛行場を中心とした近代要塞の装いを
凝 (こ) らしている。
満領内の貧弱な我が軍用飛行場とは雲泥の相違がある。
太陽に反射する大舗装飛行場を飽かず眺めていたとき、
突然トンボのように乱舞する機影を、高度四千メートル付近の空中に発見した。
おびただしい数だ。少なくも三、四十機は下るまい。
新鋭を誇るソ連戦闘機の大群が演習の真最中である。
いまにも発見されて、下から機関銃弾が撃ち出されそうに思われる。
尻がムズ痒くなった。
偵察を心ゆくまでしようと焦る心と、一刻も早く無気味な敵機から逃れようとする
本能とがからみ合って争っている。
伝声管を伝わる秋山少尉の声は落ちついている。 「一旋(ひとまわ) りしましょうか」
少尉の眼もソ連戦闘機の乱舞するさまを見逃そうはずはない。にもかかわらず
その上空を旋回しようと決心したのである。 「よーし。旋回」 と答えた。
一刻も早く逃れたい本能を抑えて旋回を要求したのは、
教え子に対する中隊長の面子 (めんつ) でもあり、
また作戦参謀としての責任感でもあった。
少尉は何喰わぬ顔をして、大きな円を描きながらウオロシロフの上空をゆっくり旋った。
飛行機の速力がこんなに遅く感ずるものか。
もう少し小さい円で一刻も早く旋回してくれたらよいが……。
しかし秋山少尉は一向に平気で悠々と旋った。
血走った眼で何物も逃さじと見つめた数分間が数日のように長く感ずる。
「まだ発見されないだろう。もし発見されたとしても敵機が六千五百メートルの
高空に飛び上がるには酸素缶が必要であろう。まさかその準備もあるまい」
との自慰の感覚が辛うじて、心の不安を抑えてくれる。
一回旋り終わったとき、少尉は後方を振り向きにっこり笑った。
「もう一度旋回しましょうか」
演習そのままの表情であった。 「いや、もう結構。北に進め」 と答えたとき、
何だか教え子に心の中を見すかされたように感じた。》
つづく
これは メッセージ 1595 (kir**gotowa**me さん)への返信です.