8月15日 蒋介石の総動員令
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/04/13 18:49 投稿番号: [1581 / 2250]
戦史叢書
『支那事変
陸軍作戦1』
265〜266p
《 蒋介石は八月十五日、総動員を下命するとともに、
自ら陸海軍総司令に就任し、
全国を第一戦区
(冀察方面−総司令
程潜)、
第二戦区
(察晋方面!閻錫山)、
第三戦区
(上海方面−顧視同)、
第四戦区
(南支方面!余漢謀)
に分け、
これに若干集団軍を配属して着々と戦備を整えた。
当時における蒋介石の対日戦略について、蒋介石の側近であった董顕光は、
戦後発刊の著書のなかで、次のように述べている。
そのとき
〔八月上旬〕
蒋介石は抗戦のための全面的な戦略を決定していた。
これが世にいう 〝空間をもって時間に替える〟 戦略であって、
時間をかせぐために必要に応じて空間が放棄されるが、
敵はそのような空間を得るために人的、
物的に高価な代価を支払わねはならないのである。
一種の焦土戦術がとられて中国軍の放棄した地域には
敵の利用する家屋も食糧も残されてない。
この独特の戦略によって日本軍は奥地深くおびき寄せられ、
その戦線は稀薄に広がり、輸送路は延び過ぎて丸裸になってしまうであろう。
これが消耗戦の戦略であって、蒋介石は、うぬぼれた日本軍が
必ずこの消耗戦で崩壊すると信じていた。
一方、当面の危機に対して蒋介石は自ら好む戦場を揚子江の線に選び、
そこに主力を集結するという現実的な方策を決定した。
華北は補給線を維持することが困難だから、
抗戦を続けても結局は敵手に落ちるものとして、
華北前線には大軍を増援しないことにした。
中国軍の主力は揚子江流域の諸都市における決戦に備えて温存し、
更にもし揚子江の線が破れた場合は、
奥地深く第三すなわち最後の抵抗線を築く計画であった。
これは実に巧妙な作戦計画であり、
またその後の戦局の推移は蒋介石の考えの正しかったことを証明している。
しかし、この計画が最後の勝利をもたらすまでには、
中国の民衆は長い年月の苦痛に耐えねばならなかった。》
*
この董顕光の記述を見ても、あの戦争が中国側の意思によって
遂行されていたことがわかります。
善人心の日本人は、こういう中国の戦略を知っていながら、
なお、日本が侵略戦争を起こしたと妄言を吐いているわけです。
中国軍は焦土作戦で、撤退する時、その途中の街や家屋を焼き払いました。
そのあとで、日本軍がやったと宣伝します。
中国軍が上海を爆撃した後で、日本軍がやったと言ったのと同じように。
彼らは、自国民の苦しみなど、知ったこっちゃありません。
文句言ったら、漢奸 (売国奴、敵のスパイ) に仕立てて、殺すだけです。
その上で、日本軍が残虐な事をしたとすりかえます。
それを、善人心のまぬけな日本人が信じ込む。バカですね。
これは メッセージ 1577 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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