3月28日 原稿を書くティンパレー2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/04/06 18:39 投稿番号: [1566 / 2250]
原稿をベイツらにチェックしてもらうティンパレー
松村俊夫著
『「南京虐殺」
への大疑問』
204〜205p
《 三月二十八日、ティンパレーからベイツへの最後の手紙に、次のような一節がある。
〈なぜ私が上海、松江、嘉興を放っておくのかとのお尋ねですが、
七章を読んでいただければ分かるかと思います。
この点を調べていくと、上海付近の民衆に対する日本軍の暴行については、
確実な証拠がほとんど見つかりません。〉(①374頁)
北支から中支、杭州から南京に至るあらゆるところでの日本軍暴行の証言を
集めたにもかかわらず、自分がいる上海、しかも難民区第一号が設定された
上海地区では、日本軍暴行の証拠をまったく見つけ出せなかったのである。
結局、ティンパレーは、上海については暴行の代わりに空爆の記事をもって
埋めたのだった。しかし、その空爆に比すべくもない規模の日本に対する
無差別爆撃があったのは、それからわずか七年後のことである。
本当ならばティンパレーは、ここでおかしいと考えつかねばならなかった。
なぜ自分のいる上海には見出せず、自分が見ていない他のすべての地区で
日本軍の暴行が起きているのか、そのカラクリに気づくべきだったのである。
華北その他について、アメリカ人の牧師や神父に話を伝えたのは支那側の
人物だったと思うが、彼らはその話をストレートに信じてティンパレーに伝え、
ティンパレーもそれをそのまま検証もせず本にしたことがよくわかる。
上海地区だけに特別な日本軍がいた訳ではない。南京に特別な西洋人がいたのである。》
*
というわけで、ティンパレーは、南京のベイツ・スマイス・ミルズや
華北の神父たちから情報を得、また書きかけの原稿を送って
チェックしてもらっていたわけです。
上海に来たフィッチもまた、原稿の材料を与えた事でしょう。
これは メッセージ 1544 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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