3月14日 原稿を書くティンパレー1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/26 18:43 投稿番号: [1544 / 2250]
大虐殺の原稿をベイツらにチェックしてもらうティンパレー
松村俊夫著
『「南京虐殺」
への大疑問』
203p
《 三月十四日付の手紙でベイツは、ティンパレーから送られてきた原稿を
スマイスとミルズの三人で検討した結果を返答している。
この件はあわてるべきではなく、誰かが上海まで出かけていって一緒に作業を
した方がよいとし、もし内容に間違いでもあると
「日本側に反駁の機会を
与えるものであり、全体の効果を弱める結果になる」
(①360頁) とある。
・・・
203〜205p
同じ三月十四日付で、上海のティンパレーからタイプされた原稿の一部が
ベイツに送られてきた。
それによれば、第一章はまだできていないが、
第二章から第十章の結論までの構想が示されている (①365頁)。
その構成を見ると、ここで参考としている
『外国人の見た日本軍の暴行』
とは若干異なっているが、
第六・七章に南京以外の事件を扱うこと、
第八章に
「今日にいたるまでの南京空襲に関する新聞報道と目撃談を厳選するつもり」
とある。
この記事が、完成した本の
「第五章
華北の恐怖」
のなかにある
石炭を知らぬ日本兵の話
(同書57頁)、
「第六章
暗黒に鎖された城市」
(同書69頁)
のなかの、略奪品を持って
上海に引き揚げる日本兵の話などとしてそれぞれ入っているのである。
その他もこれに似て、およそ日本人なら想像もつかない目撃談というものが続く。
日本軍は前掲の各都市を始め、いつでもどこでも虐殺、略奪、強姦を働く集団として、
目撃者や体験者の話が文字通り腐るほどある。》
*
「石炭を知らぬ日本兵」
とは、妄想もはなはだしい。
では、日本の軍艦はどういう燃料で動いていたのか?
当時は石油に代わった船もあったかも知れないが、
揚子江を行き来する軍艦は石炭を積んでいた筈だが?
撫順の炭鉱は誰が動かしていた?
今の日本の若者は石炭など見た事ないだろうが、
昭和40年頃までは、石炭は日本の国産燃料だったのだ。
日本から炭鉱が消えだすのは、昭和40年以降。
つづく
これは メッセージ 1442 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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