3月8日 休憩から進軍へ作戦の変更
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/03/19 18:42 投稿番号: [1529 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
文春文庫
295〜297p
《 三月八日
−
北支那方面軍第一軍の山西省戡定(かんてい) 作戦は終了し、
第二十師団は潼関をのぞむ黄河左岸、第十四師団はその東方のネイ城、平陸、白波渡、
温県に到着したが、それ以上の
「急進的行動」
に出る気配は示さなかった。
膠済線から南西進した第五師団の一部は、
第二十一旅団長坂本順少将が指揮する第十一連隊(長野祐一郎大佐)と
第二十一連隊(片野定見大佐)を基幹とする有力な部隊だったが、
沂州北東の沂河の東岸の湯頭鎮に集結し、
これまた進撃をいそぐ様子はなかったからである。
・・・
この日、中支那派遣軍から徐州作戦を具申してくると、中佐は、
不拡大方針に変更はない旨の返電を起案して、発信している。
・・・
同じこの日、北支那方面軍第二軍司令官西尾中将は、
参謀鵜沢尚信中佐をエン州の第十師団司令部に派遣した。
「密電ニ依レバ、 津浦沿線ニ於ケル
数ケ師団ノ敵ハ、
近ク我ニ向ヒ
攻撃ヲ企図シ
アルモノノ如シ」
そこで、エン州の南方の滕県の占領、さらにその東北東の大平邑を確保したい。
「これは命令ではなく、軍司令官閣下の希望であります」
つまりは、追認を含意する独断行動の要求であり、その種の上司の
「希望」
を
つたえられては、師団長磯谷廉介中将も即応せざるを得ない。
中将は、さっそく、午後六時、第三十三旅団長瀬谷啓少将に第十連隊、
第六十三連隊基幹の支隊を編成させ、下令した。
「瀬谷支隊ハ、適時、津浦線沿線ノ敵ヲ撃滅シテ
先ヅ界河付近ニ進出スベシ」
・・・
第二軍司令官西尾中将は、 「希望」
が師団命令として具体化したのを知ると、
北支那方面軍司令官寺内大将を通じて東京の認可をもとめた。
あくまで当面の敵の掃蕩作戦である。決して深く南進はしない……。
参謀本部は、第二軍の
「掃蕩作戦」
を認可した。
第二軍の言葉を信頼したい、との作戦課長稲田中佐の判断によるが、
「掃蕩作戦」
にせよ、新作戦の実施であり、
七月まで
「作戦休憩」
するとの方針の破綻である。》
これは メッセージ 1517 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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