西安事件2 張学良のあせり
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/02/11 14:06 投稿番号: [1452 / 2250]
蒋介石は張学良が共産党と接触している事を知っていた。
児島襄著 『日中戦争3』 文春文庫
251p
《 蒋介石は、既述したように、
張学良の不穏な動きについての情報を耳にしていたわけであるが、
十二月七日、華清池を訪れた 『大公報』 紙主筆張季鸞との間に、
次のような問答をかわしている。
「請問ニイ們在延安的記者、最近有什麼重要消息マー?」
(貴社の延安駐在の記者から、最近なにか重要なニュースは入らないか?)
「謡言很多、但是他不相信這些無稽之談」
(デマは多い、信用できぬ話ばかりです)
「ニイ所謂謡言、是否己聴到了張漢卿 (学良) 輿共産党在廷安面商擁護中央、
一致抗日的消息マー?」
(そのいわゆるデマの中に、張学良が延安で共産党と中央の擁護、
一致抗日を交渉した話はふくまれていないか?)
「是的」 (あります)
この問答は、張学良・周恩来秘密会談が、すでに蒋介石の情報網に
キャッチされていたのみならず、一般にも知られていたことを告げている。》
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
53p
《 中共により、紅軍により、また救国会の運動により、学生運動により、
旧東北軍や西北軍が、約一年前からの 「内戦停止」 「一致抗日」
「中国人は中国人と戦わない」 などのスロ−ガンと、
その魅力あるアッピールのために、それほどまでにも (張学良が)
「洗脳」 されていたとは、蒋はそのときまで全然知らなかった。
それで張季鸞の報告と忠言に耳を傾けた蒋介石は、ただちに、
第六次 「剿匪」 事業の作戦を根本的に練り直す必要を感じた。
「剿匪」 事業のためには、東北軍も西北軍もすでにつかいものにならぬと
感じたからであった。》
53〜54p
《 十二月九日になると、西安の学生たちは、一二・九記念デモをやり、
「内戦停止」 「一致抗日」 の要求書を、蒋介石に親しく会って手渡しするため、
華清池に向って出発した。間もなく、警察の発砲によって、
デモ隊、とくに年少学生に負傷者が出たので、学生たちは非常に激昂した。
張学良は、それを聞いて駈けつけ、
やっとのことでデモ隊を思いとどまらせ、市内に引き返させた。
その夜、張は華清他に行き、蒋に面会を求めて、学生に代り、その衷情を訴えたが、
逆に蒋からは、頭から叱られてしまった。
張は、 「極度の衝撃を受けた」 と 「懺悔録」 に書いている。
翌十日には、張は、前夜、学生に語ったように、蒋に面を冒して自己の所信を
述べるため、ふたたび蒋に会見を求め、 「内戦停止」 「一致抗日」 の立場から、
蒋の掃討計画に疑問を強硬に表明したが、にべなく拒否され、ふたたび蒋から叱正を受けた。
そればかりではない。西安綏靖主任たる楊虎城はまだしも、
いやしくも西北 「剿匪」 副司令たる張学良にとって、
「数回の軍事会議に ― これは張の思い過しでもあったが ― 召集されなかった」
ことは、異常のショックであった。
張の 「懺悔録」によれば、「それは、私 (張) と楊虎城に疑惑と不安を抱かせた。》
* ここで明らかなように、対日戦争を望んでいたのは、
中国の学生たちであり、張学良だった。
児島襄著 『日中戦争3』 文春文庫
251p
《 蒋介石は、既述したように、
張学良の不穏な動きについての情報を耳にしていたわけであるが、
十二月七日、華清池を訪れた 『大公報』 紙主筆張季鸞との間に、
次のような問答をかわしている。
「請問ニイ們在延安的記者、最近有什麼重要消息マー?」
(貴社の延安駐在の記者から、最近なにか重要なニュースは入らないか?)
「謡言很多、但是他不相信這些無稽之談」
(デマは多い、信用できぬ話ばかりです)
「ニイ所謂謡言、是否己聴到了張漢卿 (学良) 輿共産党在廷安面商擁護中央、
一致抗日的消息マー?」
(そのいわゆるデマの中に、張学良が延安で共産党と中央の擁護、
一致抗日を交渉した話はふくまれていないか?)
「是的」 (あります)
この問答は、張学良・周恩来秘密会談が、すでに蒋介石の情報網に
キャッチされていたのみならず、一般にも知られていたことを告げている。》
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
53p
《 中共により、紅軍により、また救国会の運動により、学生運動により、
旧東北軍や西北軍が、約一年前からの 「内戦停止」 「一致抗日」
「中国人は中国人と戦わない」 などのスロ−ガンと、
その魅力あるアッピールのために、それほどまでにも (張学良が)
「洗脳」 されていたとは、蒋はそのときまで全然知らなかった。
それで張季鸞の報告と忠言に耳を傾けた蒋介石は、ただちに、
第六次 「剿匪」 事業の作戦を根本的に練り直す必要を感じた。
「剿匪」 事業のためには、東北軍も西北軍もすでにつかいものにならぬと
感じたからであった。》
53〜54p
《 十二月九日になると、西安の学生たちは、一二・九記念デモをやり、
「内戦停止」 「一致抗日」 の要求書を、蒋介石に親しく会って手渡しするため、
華清池に向って出発した。間もなく、警察の発砲によって、
デモ隊、とくに年少学生に負傷者が出たので、学生たちは非常に激昂した。
張学良は、それを聞いて駈けつけ、
やっとのことでデモ隊を思いとどまらせ、市内に引き返させた。
その夜、張は華清他に行き、蒋に面会を求めて、学生に代り、その衷情を訴えたが、
逆に蒋からは、頭から叱られてしまった。
張は、 「極度の衝撃を受けた」 と 「懺悔録」 に書いている。
翌十日には、張は、前夜、学生に語ったように、蒋に面を冒して自己の所信を
述べるため、ふたたび蒋に会見を求め、 「内戦停止」 「一致抗日」 の立場から、
蒋の掃討計画に疑問を強硬に表明したが、にべなく拒否され、ふたたび蒋から叱正を受けた。
そればかりではない。西安綏靖主任たる楊虎城はまだしも、
いやしくも西北 「剿匪」 副司令たる張学良にとって、
「数回の軍事会議に ― これは張の思い過しでもあったが ― 召集されなかった」
ことは、異常のショックであった。
張の 「懺悔録」によれば、「それは、私 (張) と楊虎城に疑惑と不安を抱かせた。》
* ここで明らかなように、対日戦争を望んでいたのは、
中国の学生たちであり、張学良だった。
これは メッセージ 1449 (kir**gotowa**me さん)への返信です.