日本人記者惨殺事件4
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/02/01 18:49 投稿番号: [1426 / 2250]
児島襄著 『日中戦争3』 文春文庫
221〜222p
《 田中武夫の記憶によると、部屋には安楽椅子二脚が壁際におかれ、
壁を背にして左の椅子の前に田中、右の椅子の前に渡辺、渡辺の前に瀬戸、
二脚の椅子の間に深川が立っていた。
群衆は、前回とちがって、 「殴れ」 「殴れ」 と叫びながら四人に殺到し、
たちまち、深川経二が異様なうめき声をあげて倒れた。
そのもがく姿を見たあとの田中武夫には、自身のことしか記憶に残っていない。
夢中で、眼前によろめいてきた中国人警官の腰にしがみつき、
警官を楯にして棍棒、鉄拳の攻撃をさけようとした。
警官はあわててふりはなそうとする。田中武夫はなおもしがみついていたが、
隣室に逃げこむ警官は大きく腰をふって、ふりきった。
田中武夫は、群衆の中に孤立したことを自覚すると、抵抗を断念し、
暴徒が電灯線をひきちぎって両手をしばろうとするときも、すすんで手をさしだした。
両手をしばられたあと、財布、時計その他身につけた物を掠奪され、
外にひきずりだされた。
旅館の庭、周辺は男女の群衆でうずめつくされ、のちにその数は約一万人と
推算されたが、多数の中学生、さらには小学生もあつまって、口々に田中をののしった。
現場には、警備司令部から派遣された武装兵士約二百人が到着していたが、
発砲して群衆を解散させることもなく、傍観するだけであった。
いや、田中が学生に連行されてくると、兵士が学生から引きつぎ、
田中をひきまわしさえした。
田中は、次々に群衆の殴打をうけながら夜の街を歩かせられていたが、
右耳を棍棒で強打されて倒れた。
警官が、この男は死んだ、と叫んで、なおも殴ろうとする群衆を制止し、
人力車でカナダ人経営の 『四聖病院』 にはこばせた。
気がついた田中が看護婦に時刻をたずねると、午後九時とのことであった。
群衆はなおも病院内におしかけ、さすがに乱暴はしなかったが、
いれかわり立ちかわりに、懐中電灯で田中の顔を照射した。
午後十一時ごろ、田中は担架で督弁公署にうつされ、軍医の手当をうけて、
ようやく安堵した。
瀬戸尚も督弁公署にはこばれていて、二人は無事を喜びあい、
同時に、残る二人の安否を気づかった。
田中武夫が、特派員渡辺洸三郎と記者深川経二の死を知ったのは二日後だが、
実際には、翌日、八月二十五日午前五時ごろ、二人の死体が
王府街の火神廟前で発見されている。
二人ともに全裸にされ、さんざんに殴られて殺されたとみえ、
顔もぐしゃぐしゃにつぶれ、酸鼻をきわめた死にざまであった。》
* この被害者達には酷な言い方だが、日本人には平和憲法的感覚が多すぎる。
こういう結果になりそうな事は、行く前から想像がつきそうなものに。
昔の日本人も今の日本人と同じで、
「話せばわかる」、 「同じ人間じゃないか」 「武器を持たない者を攻撃しないだろう」
と言う、甘い幻想と美しい心で出かけて行き虐殺される。
なぜ、日本人は歴史に学ばないのか。
つづく
221〜222p
《 田中武夫の記憶によると、部屋には安楽椅子二脚が壁際におかれ、
壁を背にして左の椅子の前に田中、右の椅子の前に渡辺、渡辺の前に瀬戸、
二脚の椅子の間に深川が立っていた。
群衆は、前回とちがって、 「殴れ」 「殴れ」 と叫びながら四人に殺到し、
たちまち、深川経二が異様なうめき声をあげて倒れた。
そのもがく姿を見たあとの田中武夫には、自身のことしか記憶に残っていない。
夢中で、眼前によろめいてきた中国人警官の腰にしがみつき、
警官を楯にして棍棒、鉄拳の攻撃をさけようとした。
警官はあわててふりはなそうとする。田中武夫はなおもしがみついていたが、
隣室に逃げこむ警官は大きく腰をふって、ふりきった。
田中武夫は、群衆の中に孤立したことを自覚すると、抵抗を断念し、
暴徒が電灯線をひきちぎって両手をしばろうとするときも、すすんで手をさしだした。
両手をしばられたあと、財布、時計その他身につけた物を掠奪され、
外にひきずりだされた。
旅館の庭、周辺は男女の群衆でうずめつくされ、のちにその数は約一万人と
推算されたが、多数の中学生、さらには小学生もあつまって、口々に田中をののしった。
現場には、警備司令部から派遣された武装兵士約二百人が到着していたが、
発砲して群衆を解散させることもなく、傍観するだけであった。
いや、田中が学生に連行されてくると、兵士が学生から引きつぎ、
田中をひきまわしさえした。
田中は、次々に群衆の殴打をうけながら夜の街を歩かせられていたが、
右耳を棍棒で強打されて倒れた。
警官が、この男は死んだ、と叫んで、なおも殴ろうとする群衆を制止し、
人力車でカナダ人経営の 『四聖病院』 にはこばせた。
気がついた田中が看護婦に時刻をたずねると、午後九時とのことであった。
群衆はなおも病院内におしかけ、さすがに乱暴はしなかったが、
いれかわり立ちかわりに、懐中電灯で田中の顔を照射した。
午後十一時ごろ、田中は担架で督弁公署にうつされ、軍医の手当をうけて、
ようやく安堵した。
瀬戸尚も督弁公署にはこばれていて、二人は無事を喜びあい、
同時に、残る二人の安否を気づかった。
田中武夫が、特派員渡辺洸三郎と記者深川経二の死を知ったのは二日後だが、
実際には、翌日、八月二十五日午前五時ごろ、二人の死体が
王府街の火神廟前で発見されている。
二人ともに全裸にされ、さんざんに殴られて殺されたとみえ、
顔もぐしゃぐしゃにつぶれ、酸鼻をきわめた死にざまであった。》
* この被害者達には酷な言い方だが、日本人には平和憲法的感覚が多すぎる。
こういう結果になりそうな事は、行く前から想像がつきそうなものに。
昔の日本人も今の日本人と同じで、
「話せばわかる」、 「同じ人間じゃないか」 「武器を持たない者を攻撃しないだろう」
と言う、甘い幻想と美しい心で出かけて行き虐殺される。
なぜ、日本人は歴史に学ばないのか。
つづく
これは メッセージ 1424 (kir**gotowa**me さん)への返信です.