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12月8日 「開城勧告文」 の作成

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/08/13 18:41 投稿番号: [141 / 2250]
早瀬利之著『将軍の真実   南京事件   松井石根人物伝』125〜126pより

《松井は十二月七日から十五日まで、蘇州の方面軍司令部にいた。

八日、方面軍の幕僚会議の席上、南京政府に対して 「降伏勧告文」 を撒布 (さんぷ)
することを、中山寧人参謀に指示する。

これを受けて中山は、原文を書き、松井に見せたあと、中国語に翻訳させることにした。

しかし、翻訳担当の藤木通訳官は上海留守司令部にいるため、翻訳の仕事は
岡田尚に回された。岡田はすぐに翻訳にとりかかった。

翻訳すると、松井石根方面軍司令官に見せ、検閲を受けた。
了解が出ると、すぐに印刷にかかった。

岡田の記憶では、「何千枚か、兵により印刷された」 とある。
それを、句容の飛行場から運び、軍用機から南京市内の上空をひと回りして撒布した。

岡田が中国語に翻訳した主文は十六行の短いもので、
最後に 「昭和十二年十二月、大日本陸軍総司令官、松井石根」 としめた。


彼が翻訳した日本文は、こうである。

「日軍百万すでに江南を席捲せり。南京城はまさに包囲の中にあり。
戦局の大勢よりみれば、今後の交戦はただ百害あって一利なし。

惟 (おも) うに江寧の地は中国の旧都にして民国の首府なり。
明の孝陵、中山陵など古蹟、名勝蝟集 (いしゅう) し、さながら東亜文化の精髄の感あり。

日軍は抵抗者に対してはきわめて峻烈にして寛恕せざるも、無辜の民衆および
敵意なき中国軍隊に対しては寛大をもってし、これを犯さず、東亜文化に至りては

〔力をつくして〕 これを保護保存するの意あり。しかして貴軍にして交戦を継続せんと
するならば、南京は勢いかならずや戦禍をまぬかれがたし。

しかして千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営はまったく泡末とならん。
よって本司令官は、日本軍を代表して貴軍に勧告す。

すなわち南京城を平和裡に開放し、しかして左記の処置に出でよ。
   昭和十二年十二月
                      大日本陸軍総司令官   松井石根」》



なお、この勧告文の文章は 『報道戦線』 では次のようになっています。

「   勧   告   文

日軍百万江南を席巻 (せっけん) し南京城は方 (まさ) に包囲の中に在り。
戦局の大勢既に定まり向後の交戦は百害ありとするも一利の伴うなし。

惟うに江寧の地は之れ中国の旧都、民国の首都にして、明の孝陵、中山陵始め
幾多 (いくた) の名勝旧跡蝟集し、宛然 (えんぜん) 東亜文化の粋をここに観るの概あり。

日軍は抗敵に対しては峻烈苛 (いやしくも) も仮借せずと雖 (いえど) も、
無辜 (むこ) の民は固 (もと) より敵意なき民国軍隊に対しては秋毫 (しゅうごう) も犯さず、

況んや東亜の文化は努めてこれを保護保存するの熱意を有す。

然れども貴軍にして抗戦を継続するに於ては南京は忽ち戦禍の坩堝と化して、
千年の文華十年の経営も一朝にして廃墟に帰すべし。

依 (よっ) て予は爰 (ここ) に日軍を代表し、
貴軍が速 (すみやか) に南京城を平和裡に開城せらるべきを勧告す。

    昭和十二年十二月九日           大日本陸軍総司令官   松井石根」

(西岡香織著 『報道戦線から見た 「日中戦争」』 96p)
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