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12月7日 松井大将上海より蘇州へ移動

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/08/10 18:34 投稿番号: [138 / 2250]
早瀬利之著 『将軍の真実   南京事件   松井石根人物伝』 122〜123pより

松井は蘇州に着いたが、敵将の蒋介石が同じ十二月七日、
南京を発ち南昌に向かったことは知らない。

松井は、蘇州に向かう汽車の中から沿道のようすを細かく観察していた。

中国人たちの姿、駅前のようすから、日本と蒋介石軍の戦さのとばっちりを受けた
中国人たちを見ていると、気の毒でならなかった。


上海はようやく活気を取りもどしていたが、
蘇州に近づくにつれて町は破壊され、人の姿はまばらである。

しかし蘇州に着き、沿道に住民の姿を見ると、ほっとするものがあった。

とくに避難していた貧しい農民が農村にもどっている姿に触れたとき、
松井は思わず涙で眠がうるんだ。そして、

   「あゝ、欣(よろこ) ぶべし。欣ぶべし」

と大きくうなずき、励していた。


蘇州には、原田らの働きかけですでに自治委員会が設立されていた。
副領事も六日、蘇州に移り、治安工作と宣撫(政治工作)にあたっている。

この日も、松井は高熱と寒けに苦しんだ。
すでに蘇州では朝晩、氷が張る冷たさである。

以前にかかったマラリアが原因だと思って治療を受けたが、病状は悪く、
軍医は肺炎併発の恐れがあるといって、休養を求めた。


しかし、責任感がひと一倍強い松井は、それでも幕僚たちを引きつれて、
戦況を見に高台へ上がり、武藤章参謀副長に手渡された双眼鏡で前線を見まもった。

この日も、オーバーコートに身をつつみ、病いをおかして視察して、報告を受けている。


松井がどれほど重態であったかを物語るものに、松井日記がある。   几帳面に
記録をとどめる松井だが、七日と九日の日記は、四行から五行の短いもので終わっている。

八日の日付けの日記は、病いに伏して一行も書けなかった。
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