入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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国共内戦における中国の暴虐1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/01/06 18:48 投稿番号: [1373 / 2250]
中国では国民党軍や他の軍閥・そして民衆が、略奪や暴虐の限りを

尽くしましたが共産党もまた同じでした。



児島襄著   『日中戦争2』   文春文庫
28〜29p

《「共産土賊軍」 は、実際には、一九二七年いらい湖南・江西省境の井岡山で

毛沢東ら共産党指導者が育成していた   「工農紅軍」   の一部・・・

・・・

『東京朝日新聞』   も、大冶に進入した   「紅軍」   を   「土賊軍」   の俗称で呼び、

その状態を次のように報道している。



「(六月)   十三日午後七時四十分、赤地に黄のギザギザを施した

例の旗を立てた土賊軍の一部が、大冶に入った。

彼ら土賊軍は十二日朝、大冶県城を占領すると同時に、お手のものの大掠奪を試み、

監獄を破壊して囚人を解放する等、遺憾なく暴れまわった。

すでにこの報道を得ていたので、土賊軍が大冶に迫ったころには、

内外人は全部避難してガラ空きになっていた。



無産階級の擁護を宣伝しつつ、鉄鉱並に石炭会社に各二十万元、

セメント会社にも二十万元を要求している。

邦人住宅は無事なるも、支那民家の掠奪され人質となったものも多い……」

兵力はわずかに約二千人、また   「土賊軍」   の呼称をあたえられるほどに

装備もおとっているが、ともかくも   「紅軍」   は、すでにその接近だけで

一都市をガラ空きにさせるほどの   「威勢」 (?)   を具備していたことが、うかがえる。


33 p

いわゆる   「共匪軍」、正確には   「紅軍第三軍団」(彭徳懐)   は、

いつしか大冶をはなれて南下し、長沙をめざしていた。

長沙は、既述したように、広西軍がひきあげたあと、

中央軍も撤退してほぼ   「ガラ空き」になっていた。


36 p

七月二十五日、 「共匪軍」   は長沙東北方約四十二キロに接近した。

長沙には、百十五人の日本人居留民がいる。

領事糟谷廉二は、その夜、在留邦人にたいして警戒と避難準備を指示しておき、

翌日、七月二十六日、主席何鍵を訪ねて情報をもとめた。


37 p

長沙市内には、 「赤から逃げてきた」   と称して、

大荷物をかついだ難民がしきりに流入していた。

実際には、この難民の多くは   「紅軍」   便衣隊であり、

その荷物の中には武器もひそませていて、

いずれもかねて指示されたアジトに潜伏、あるいは武器をかくして待機した。》


つづく
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