済南事件3 国民党軍の反日的態度
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/29 19:00 投稿番号: [1355 / 2250]
児島襄著
『日中戦争1』
文春文庫
164〜166p
《 第十一旅団長斎藤瀏少将は、・・・、張孫軍の退却、
国民革命軍の入城という二つの危険な事態に直面して、
どのように商阜地在住の日本人居留民をまもるかを熟慮・・・
−
「濁流ハ、須
(すべか)
ラク道ヲ造リテ排出スルニ如
(し)
カズ」
在留邦人を保護するためには、できるだけ張孫軍とも国民革命軍とも衝突をさけ、
武力行使以外の方法で始末すべきである。それには両軍ともに商阜地外を
通行させればよく、その通路をあたえればよい、と思案。・・・
五月一日、夜明けとともに、市内にちらちらと国民革命軍の斥候があらわれた。・・・
つづいて第一、第四十一軍が入城したが、そのころには、街の雰囲気は一変していた。
商阜地東部監獄から囚人が解放され、
中国人家屋にはいっせいに青天白日旗がかかげられ、
入城した部隊のうち、とくに第四十軍所属の少年兵が市内を走りまわって、
宣伝ビラを民家の壁にはった。「排斥日本帝国主義」「反対日本出兵」 など、
いずれも反日ビラであり、中には、張作霖と日本女性が
「乱舞」
している図柄もあった。
少年兵は、わざと日本軍歩哨に近づき、白眼をむいて敵意を示しながら、
その面前の街路樹にビラをはったりした。
斎藤少将は、不穏な空気を感得して警戒強化を下令したが、
午前八時二十分ごろ、中国兵による日本国旗損傷事件が発生した。
国民革命軍第一軍第二十二師第六十四団 (註、団は連隊に相当。
なお、その下に営〔大隊〕、連〔中隊]、排[小隊〕がある) が入城するさい、
兵士の一人が日本人民家に掲揚中の日章旗をうばい、破棄した。》
168p
《 五月二日午前九時、蒋介石は乗馬で済南城に入城した。・・・
そのころには、済南には国民革命軍将兵が充満し、約十万人と推計された。》
169p
《 蒋介石は入城後、佐々木中佐を通じて、日本軍の撤兵、後続日本軍の輸送中止、
警備区域の撤去などを斎藤少将に申し入れたが、
その第四項は次のように指摘されていた。
「人民代表ノ言ニ依レバ、日本兵ノ人民ニ対スル態度不良ナルニッキ取締ヲ希望ス」
温厚な斎藤少将も、ムッとした表情をあらわにし、幕僚たちは、いきりたった。
露骨な反日姿勢を示して
「態度不良ナル」
のは、中国兵のほうではないか
−。
「貴公はいったいどっちの味方なのか」
斎藤少将は、いずれ第六師団長福田彦助中将が到着してから返事すると述べたが、
幕僚の中には、そう、佐々木中佐に怒声をはりあげる者もいた。》
*
国民革命軍十万人に対して、日本軍の派遣予定人数は五千人、
但しまだ全員は来ていない。
日本軍は圧倒的多数の敵兵の海に埋没する形になった。
*
佐々木中佐とは、のち昭和12年12月に南京に駐屯した
第16師団の佐々木到一少将その人。
つづく
これは メッセージ 1352 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/1355.html